命の手紙 13(皇紀弐千六百七十七年五月一日 弐)

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 本人はあと二十年ぐらい生きると言つてゐますが、今年九十歳になる父が、私たちに、必死に手紙を送つてきます。自分の人生を傳へたいのでせう。 私の使命はまず、これを遺す(残すではありません)こと。そして、髙めてつなぐことです。

 朝鮮在住當時の知り合いから電話があつたところからです。
 電話の主「山崎多代(かずよ)さん」は、咸鏡南道興南府西湖津(せいこしん)小学校から興南公立女学校に進み、新興鉄道・西湖津から新九龍里駅まで汽車通学をしていたという。ボクも同じ経路で記者通学をしていた。

 山崎多代さんは、昭和15年咸興小学校卒業だから、ぜっていに「宝徳のにいさん」だと思ったが、間違ったときはイヤだから、ずっと考えてばかりいて電話をかけられなかった。今日からグッスリ眠ることができる。電話をかけてよかった。という。  つづく

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このページは、宝徳 健が2017年5月 1日 02:12に書いたブログ記事です。

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