邪教日本國憲法屈辱日(皇紀弐千六百七十七年五月三日 弐)

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 かういふ重要な日は、新聞をすべて賈ひます(地方紙除く)。面白い、面白い。まあ、朝日・毎日は漫画ですわ。國をつぶしたいんかいな。讀賣は、經濟問題以外は、まあ讀める。産經は、少し、まともになつてきたかな。

 石原慎太郎氏が今日の産經に投稿してゐました。氏は、「天才」で田中角栄を持ち上げるなど、およそ信じられないことをしましたが、今日はまともなことを書いてゐました。

 それを紹介するとともに、私見を。ああ、早く、このブログで大日本帝國憲法vs日本國憲法を書きたい。書きたいことが多すぎて。
「(中略)ドイツは降伏に際してあくまでも三つの条件をつけ、それが受け入れられない限り徹底して戦うと主張した。その三つの条件とは第一に、敗戦の後の国家の基本法の憲法はあくまでドイツ人自身の手によって作る。第二は戦後の子弟の教育指針はドイツ人自身が決める。第三はたとえ数が少なくとも国軍は残すというものだった。この国家民族の主体性を踏まえた主張は勝者の連合国軍側にも受け入れられ、ドイツは他国による完全支配を免れた。それに比べ日本は他国による奴隷的な支配の甘受を許容することになった。その国家民族の没個性的な状況を象徴するのが現憲法に他ならない」

(中略)

「今は亡き江藤淳がアメリカの戦後日本における言論統制を痛烈に批判した『閉ざされた言語空間』にあったように日本人の正当な日本語による為政者への統制批判を封じるものの象徴的存在は、間違った日本語で綴られた前文に始まる憲法にほかならない。かつてシェイクスピアを全訳もした優れた英文学者でもあった福田恒存が指摘していたやうに憲法の前文は明らかに慣用の日本語としては間違いの助詞が数多くある。たかが助詞と言うなかれ、一つの助詞は言語の本質からしてそれ一字だけで文章全体の品格鵜を左右しかねないものだ」
閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)


(中略)

「例えば多くの問題を含む九条を導き出すための前文『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した』という文言の「公正と信義に信頼して」の一行の助詞の『に』だた、これは日本語としての慣用からすればあくまで『を』ではなくてはならず・・・・」

(後略)

 もっと書きたいのですが・・・・。知りたい人は、今日の産經新聞を賈つてください。

 保守とは何か。國家を破壊する狂氣に對抗する存在です。でも、惡(左翼)はすぐに徒党を組みます。だから惡党といふ言葉があります。保守のやうな善は徒党を組みません。だから、善党といふ言葉はない。だから勢力になりにくいのです。

 池田内閣までは正常だった我が國を、佐藤内閣以降左翼政治家が國家を骨抜きにしました。そこに、支那のスパイが入り込みました。自民党は保守ではありません。スパイうじゃうじゃ。

 どうすればいいか。國民が賢くなるしかないのです。もうそろそろ目を覺ましませんか?

 憲法記念日・・・・ 何を記念するのか。 法律の素人GHQ(占領軍)が、1週間で創り上げた文章を。

 吉田茂の側近であった白洲次郎もはつきりと言つてゐます。「吉田のじいさんの最大の失敗は、独立を回復した後に、日本国憲法無効宣言をしなかったことだ」と。

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このページは、宝徳 健が2017年5月 3日 07:37に書いたブログ記事です。

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