道:國民が こころごころに 進みゆく 道にはさはる ものなくもがな
孝:いとまなき 世にはたつとも たらちねの 親につかふる 道な忘れそ
兄弟:家の風 ふきそはむ世も みゆるかな つらなる枝の 茂りあひつつ
友:もろともに たすけかはして むつびあふ 友ぞ世にたつ 力なるべき
折にふれて:世に広く しらるるままに 人なみの つつしむべきは おのが身にして
正述心緒:よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
(上記:明治天皇御製)
(昭憲皇太后御歌)
夫婦有別:むつまじき 中洲にあそぶ みさごすら おのづからなる 道はあありけり
では、まずは井上毅について。
今回は、井上毅と横井小楠の第二の論點をみていきます。
第二の論點:耶蘇教(キリスト教)
横井は耶蘇教に對して非常に理解のある見方をしました。井上は猛烈に反發します。「自分が聞くところによると、耶蘇教はこの地上の國よりも天國を尊しとし、一向宗のように「君臣は七世の契り、仏は萬代の契り」などと称して彼岸的な價値を志向する面がある。である以上、將來「不慮の變」を起こしかねない危險な宗教ではないか」と言ひます。 井上は、夷人との交通が始まればこの耶蘇教の流入は不可避であろうと、その危險性も同時に指摘します。 横井は、近頃は耶蘇教も宗教戦争などの痛切な體驗により學んだことから、もはや我が國にそれを強制するなどということはあるまい、と指摘するや、井上は、強制はなくとも、一端流入すればその影響は止められないのが「自然の勢い」といいふもので、完全に遮断するしかないとこれに反論します。 |
これには二つのポイントがあります。ひとつは、キリスト教は、他國を破壊することです。破壊するために宣教師が送り込まれてきます。秀吉の時代、キリシタン大名が日本人女性を宣教師と組んで海外に売り飛ばしました。これに激怒した秀吉はバテレン追放令を出します。學校では、島原の乱を正しいことのやうに教えてゐますが、眞つ赤な嘘です。
二つ目は、我が國では、信長が、政治に口を出す宗教者を徹底的に叩きのめしたことです。そのおかげで、我が國では、宗教者が政治に口を出すことがなくなりました。
井上毅の先見の明です。昭和天皇も、キリスト教徒が我が國を破壊することを知っていました。
(本文の續きです)
學(がく)ヲ修(おさ)メ、業(ぎょう)ヲ習(なら)ヒ、以(もっ)テ智能ヲ啓發シ、德器(とっき)ヲ成就シ、進(すすん)デ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲(こっけん)ヲ重(おもん)ジ、國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ |
訳します。
學問に勵み、職業を習つて軆につけ、そうして智德を養つて軆につけ、才能を十分に伸ばし、道德の髙い立派な人格を完成し、さらに一歩進めて廣く世の中のために盡くし、社會の利益になる仕事を開發して、いつも國で定めた憲法を守り、法律や規則に従って |
こんなに美しい國があるでしょうか? 読んでいて感動で身が震えます。
現代では、ポイポイと平氣でごみを捨てる、列の順番を守らない、下着かパジャマか裸かわからないやうな服を着ている女性、自己主張ばかりする愚か者などなど、まるで支那人のような日本人が増えてきました。
教育基本法など不要です。教育勅語を復活させれば十分です。教育勅語は生きています。國會で廃止となったようですが、勅語は法律ではありません。國會にその権限はありません。
不埒な日教組による戦後の過った教育と赤いメディはは、どうやら美しいものを汚くするのが趣味のようですね。
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