命の手紙 18(皇紀弐千六百七十七年五月八日 參)

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 つづきです。プラハはこれでをはりです。親父の手紙はまだまだたくさんあります(笑)。昭和ひとけたを次囘からも引き続きお樂しみください。
 旧東欧4か国を歴訪しましたが、車など東欧製のものは古びた感じが否めなかったし、ホテルが酷すぎた。旧東欧時代に建てたホテルに泊まりました(安い)。大きなホテルでしたが、3人しか乗れないエレベーター、それが1台しかないのです。共産圏は非能率。

 この旅はウイーンでコンサートを聴き、終わりが夜中になったのでめいめいがタクシーでホテルに帰りました。

 翌日の朝。若い人たちがボクに「校長先生おはようございます」という。それまで彼たちとの会話は一切なかったので、「なに?」と聞くと、ボクはいつも若い人たちの動向に気を配っているのだそうです。

 そういえば昨夜のコンサートの後、タクシーに乗るとき「あなたがたはどうする???」と聞いた覚えがある。

 なるほど支援にボクの気配り?が出ていたのです。それで校長先生かと苦笑しました。

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このページは、宝徳 健が2017年5月 8日 05:14に書いたブログ記事です。

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