福髙讃歌 3(皇紀弐千六百七十七年五月十日)

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 今囘は、勤勞動員ですね。まあ、先の大戰を語るとき、たいていは、「悲傪」「犠牲」などのマイナス表現が踊ります。聽くたびに頭にきます。英霊たちに失禮です。當時に生きた人たちは私たちのやうな腑抜けではありません。そんな氣持ちを凌駕する崇高なる精神があつたのです。神話以來續くといふ、人間社會の奇跡である我が國の「皇弥栄(すめらぎいやさか)」を、天壌無窮を護るために命を捧げてくれたのです。

 先日、福髙校歌は本當は、五番まであつたさうです、とお傳へしました。GHQ(占領軍)に氣づかい三番以降を隱したとも。東京福中・福髙同窓會のHPに三番以降が載つてゐました。古い資料なので、古ぼけてゐて、讀み取れない字もあります(誰か知つてゐる人がいたら教えてください)。〇が讀みとれない文字です。GHQに氣づかつたのは、太字のところでせう。百周年を機會に復活してほしいものです。


聞け玄海の 濤の聲
千里を越えて 〇〇を
寄せて砕くる 潮しぶき
弘安以來 六百年(弘安の役 元寇です)
青史をかざる ますらをの
剛健
の〇 〇見ずや


伏敵門を 仰ぎつつ
千代の松原 万代
かはらぬ松の 深緑
ここに集へる 吾〇の
操守の色に 似たらずや


雄々したのもし 山河の
勝れし國に 生ひたちて
日毎榮行く 大御代の
重き任務を 身に負ひつ
起ちて四海の
 風雲を
叱咤せん日よ とく來れ(自信なし)

 なんと崇高な校歌でせう。

 福髙の校訓(經營目的)は、以下の三つです。

至誠勵業(しせいれいぎょう:至誠業ヲ勵ミ)
剛健成風(ごうけんせいふう:剛健風ヲ成シ)
操守堅固(そうしゅけんご:操守堅固ナルベシ)

 三つ目の操守が四番にみられます。

 降伏門とは、筥崎宮にある門です。元寇の際、亀山上皇が敵國降伏を筥崎宮で禱り續けました。なので、筥崎宮は敵國降伏の神です。なぜ、筥崎宮かつて? 宇佐八幡宮、石清水八幡宮、筥崎宮は、日本三大八幡神社です。八幡宮は戰ひの神です。

 この史實から東公園には亀山上皇の像があります。
 
 筥崎宮の御祭神は、応神天皇(八幡大神)、神功皇后(応神天皇の母、戰ひながら応神天皇を産んだ:これにつひてはいずれ)、玉依姫命(たまよりひめのみこと:神武天皇の母)

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 これが伏敵門。

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このページは、宝徳 健が2017年5月10日 04:26に書いたブログ記事です。

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