つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
いいですね~。
あれつ? テニス部日誌を書かうと思つたら、日誌がない。今日、仕事する岐阜事務所に送つた荷物に入れたのかなあ。いつもの手持ちの鞄に入れたつもりだつたのに。書けない。悲しい。
「龍馬の金策日誌 竹下倫一 祥傳社新書」。面白か~。
いいですね~。
あれつ? テニス部日誌を書かうと思つたら、日誌がない。今日、仕事する岐阜事務所に送つた荷物に入れたのかなあ。いつもの手持ちの鞄に入れたつもりだつたのに。書けない。悲しい。
「龍馬の金策日誌 竹下倫一 祥傳社新書」。面白か~。
先日紹介した、「死なない食事」の著者 神尾さんが亡くなりました。ありゃ。でも、すごい、餘命 いくばくを、十四年間も生き抜きました。
「國際法で読み解く世界史の真実 倉山満 PHP新書」 いいですね~。とにかく今は、倉山満と上念司が旬です。この二人の著作を讀まないと眞實がわからないと言つても過言ではありません。ただし、あまりにも正しいことを云ふので、學會や評論會では、ものすごく嫌はれてゐます。
これが今の我が國の最大の問題點です。官立學校の權威だけがはびこります。憲法學會など、いまだに、あの名前を聞くのもおぞましい、東京大學の宮環俊義の考へ方しか受け付けません。憲法學者は、みんな萬死に値しまし。官立學校、とくに東京大學の權威が言つたことには、學會は逆らへないやうになつてゐます。だから、倉山氏や上念氏のやうな私學出軆の人間がどんなに正しいことを言つても、學會では、「虐殺(この表現が一番正しい)」されてしまひます。
繰り返し云ひます。官立は義務教育までで充分です。今、憲法に教育無償化をなどと、聞くににおぞましひ議論が始まつてゐます。なのに、今の憲法では、私學助成が禁止されてゐます(實際には行はれてゐます。でも、誰も、これを違憲だと云ひません。馬鹿な話です)。
本の話に戻しませう。「平時國際法」「戰事國際法」の違ひがわかりますか? 我が國は、邪教日本國憲法といふ「憲法典(憲法そのものではない)」の中でしか、すべてのことを論じないので、國民が、「安全保障」について、何も知りません。不勉強きはまりないメディアも知らないから傳へません。だから國を護る概念が著しく欠如してゐます。だから、だから、だから、十四歳の女の子が他國に拉致されても、助けやうと云ふ意思も持ちません。今囘、憲法典改正をするとしたら、最大のポイントは、拉致被害者を取り戻せる憲法典かどうかです。
結局、邪教日本國憲法典の平和主義とは、「自分だけ幸せだつたらいい。他人のことなど考へるな」といふ薄っぺらいものでしかありません。
私は息子をこよなく愛してゐます。當然です。息子だけではなく子供がたまらなく好きです。姉から「あんたは、どこの子も好きやね。なして、そげん、ずーーーーつと、子供と遊べると。私なんか、ほんの少し遊んだら疲れてもういいばい(姉は素直ではありません(笑)。本當は子供が大好きです)」と云はれます。あの純粋な心、透き通つた目。遊びながら教えてもらつてゐます。
ところが、昨日のニュースで、三歳の女の子が親に殺される報道がありました。なぜ!!!!!
目の前にこの二人の親がいたら、私は何をするかわかりません。何ちゃんかしらないけど、護つてあげられなくてごめんね。おじちゃんがいつか天國(いけるかなあ(笑))に行つたら一緒に遊んでね。
皇室とは嚴しいものです。昭和天皇は、今上天皇陛下が小さいとき、一度も抱いたことがないさうです。「自分の子に愛情が行くと、國民を愛せなくなる」。すさまじい生き方ですね。
どんなに我が子を抱きたかつたでせう。でも、皇室は、「私」を完全に殺します。すべてが「公」です。
あるとき、宣仁親王が 、節子妃に問うたさうです。「友達はおたたさま(お母様)におんぶしてもらってゐるのに、どうしておたたさまはおんぶしいてくれないの」。
これほどの皇室を擁していることを私たちは理解してゐるのだらうか。
けふの「徒然なるままに」はこれでをはり。
「國際法で読み解く世界史の真実 倉山満 PHP新書」 いいですね~。とにかく今は、倉山満と上念司が旬です。この二人の著作を讀まないと眞實がわからないと言つても過言ではありません。ただし、あまりにも正しいことを云ふので、學會や評論會では、ものすごく嫌はれてゐます。
これが今の我が國の最大の問題點です。官立學校の權威だけがはびこります。憲法學會など、いまだに、あの名前を聞くのもおぞましい、東京大學の宮環俊義の考へ方しか受け付けません。憲法學者は、みんな萬死に値しまし。官立學校、とくに東京大學の權威が言つたことには、學會は逆らへないやうになつてゐます。だから、倉山氏や上念氏のやうな私學出軆の人間がどんなに正しいことを言つても、學會では、「虐殺(この表現が一番正しい)」されてしまひます。
繰り返し云ひます。官立は義務教育までで充分です。今、憲法に教育無償化をなどと、聞くににおぞましひ議論が始まつてゐます。なのに、今の憲法では、私學助成が禁止されてゐます(實際には行はれてゐます。でも、誰も、これを違憲だと云ひません。馬鹿な話です)。
本の話に戻しませう。「平時國際法」「戰事國際法」の違ひがわかりますか? 我が國は、邪教日本國憲法といふ「憲法典(憲法そのものではない)」の中でしか、すべてのことを論じないので、國民が、「安全保障」について、何も知りません。不勉強きはまりないメディアも知らないから傳へません。だから國を護る概念が著しく欠如してゐます。だから、だから、だから、十四歳の女の子が他國に拉致されても、助けやうと云ふ意思も持ちません。今囘、憲法典改正をするとしたら、最大のポイントは、拉致被害者を取り戻せる憲法典かどうかです。
結局、邪教日本國憲法典の平和主義とは、「自分だけ幸せだつたらいい。他人のことなど考へるな」といふ薄っぺらいものでしかありません。
私は息子をこよなく愛してゐます。當然です。息子だけではなく子供がたまらなく好きです。姉から「あんたは、どこの子も好きやね。なして、そげん、ずーーーーつと、子供と遊べると。私なんか、ほんの少し遊んだら疲れてもういいばい(姉は素直ではありません(笑)。本當は子供が大好きです)」と云はれます。あの純粋な心、透き通つた目。遊びながら教えてもらつてゐます。
ところが、昨日のニュースで、三歳の女の子が親に殺される報道がありました。なぜ!!!!!
考へることができません。もちろん會つたことがない子です。でも、殺されるぐらいなら、私が引き取りたかつた。なんで、子供を殺すの? 自分が死ねよ。 心が痛みます。こんな親など、この世に不要です。 悲しい、悲しい。 誰もが、何かの使命を天から授かつて生まれてきます。それを見つけ果たすことを「個性」と云ひます。好き勝手やることを個性とは云ひません。
目の前にこの二人の親がいたら、私は何をするかわかりません。何ちゃんかしらないけど、護つてあげられなくてごめんね。おじちゃんがいつか天國(いけるかなあ(笑))に行つたら一緒に遊んでね。
皇室とは嚴しいものです。昭和天皇は、今上天皇陛下が小さいとき、一度も抱いたことがないさうです。「自分の子に愛情が行くと、國民を愛せなくなる」。すさまじい生き方ですね。
今、産經新聞に連載中の「朝けの空に」でも、皇后節子樣のことが書かれてゐます。皇后としての務めを果たすため、子ら(昭和天皇(裕仁親王)、宣仁親王、雍仁親王)をわざと遠ざけました。
人のおやの つとめなしへぬ 我が軆みには こらはくくめる 人うらやまし
どんなに我が子を抱きたかつたでせう。でも、皇室は、「私」を完全に殺します。すべてが「公」です。
あるとき、宣仁親王が 、節子妃に問うたさうです。「友達はおたたさま(お母様)におんぶしてもらってゐるのに、どうしておたたさまはおんぶしいてくれないの」。
これほどの皇室を擁していることを私たちは理解してゐるのだらうか。
けふの「徒然なるままに」はこれでをはり。
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