命の手紙21(皇紀弐千六百七十七年五月十三日 弐)

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 今年九十歳になる親父が、何かを遺さうと送ってくれる手紙を書き綴つてゐます。

 父が朝鮮在住の時の友人、金享貞さんからの手紙のつづきです。太字は親父のコメントです。

 私は、支那・朝鮮のことをぼろくそに書きますが、仲の良い支那人・朝鮮人ももちろんゐます。彼らは、私以上に過激なことを自國に對して云ひます。でも、自國ではそれは云へない。

 宝徳君がコピーしてくださった瀬在教授の記事有難く拝見しました。バイパス手術の権威で、よい先生に診てもらった事、幸に思っています。こちらの病院との関係がありました、術後2度ほど来韓しましたのでお会いする機会を得ました。

 ハンブルの勉強を始めたとの事、よかったですね。字が讀めるようになったら愚妻もお手紙を書くとのことです。

 では、くれぐれも奥様によろしく。失意せずに頑張ってくださるようお伝えください。

アンニョンヒ カシプシオ 金亨貞

[注記]
この手紙の日付は1984年(昭和59年)4月11日。ハングルが上達したら奥様と交信というが、学習は遅々として進まない。以下のカタカナの部分は私が翻訳した部分。


つづく

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このページは、宝徳 健が2017年5月13日 07:08に書いたブログ記事です。

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