竹笋生(皇紀弐千六百七十七年五月十五日)

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 今日から七十二候 立夏 末候 「竹笋生」です。「たけのこしょうず」と讀みます。

 たけのこがひょっこり顔を出す頃です。伸びすぎなひうちに収穫しなければ、美味しいたけのこは味はえません。種類によつて収穫期が異なります。

 私たちが子供のころは、あちらこちらに竹林がありました。みなくなりましたね~。
「竹林 写真」の画像検索結果
 竹林に向かつて思ひ切り石を投げると、カン・カン・カンと音とともに跳ね返ります。よく遊びました。

 笋は、筍と同じ字です。

 朝、みた笋が、夕方になると大きくなつてゐるのをみてびつくりしたことを覺へてゐます。

 今、料理屋さんで出される焼き筍はおいしいですね~。「焼き筍 写真」の画像検索結果

 「今は昔、竹取の翁(おきな)といふものありけり。野山にまぢりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、讃岐造(さぬきのみやつこ)となむ言ひける」(『竹取物語』)。

 それほど我が國の生活の中で竹は軆近だつたのでせう。

 竹には霊力が宿るとされ、神事に欠かせないものでした。おじいさんの本名「讃岐造」の「造(みやつこ。宮つ子)」は、宮廷に仕える家來を意味します。

 光る竹の根元からみつかつたときのかぐや姫は、身長たつた3寸(約9センチ)。それがすくすく育つて、3ヶ月くらいで成人女性のサイズになったといひます。これも、筍が育つスピードとかけあはせてゐるのでせうね。

 いつの季節も、豐で美しい、我が國。素敵ですね。

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このページは、宝徳 健が2017年5月15日 00:55に書いたブログ記事です。

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