これを書いたら▲32です。
敷島の やまと心を うるはしく うたひあぐべき このはもがな
です。
私は、自分の和歌が稚拙なのは、よくわかつてゐます。もう詠むのをやめやうかなあ、と思つたときもありました。あるとき、和歌でとても有名な人とお話ができるチャンスがありました。その方曰はく「いいのいいの、出来榮へなんか氣にしなくて、どんどん詠めばよいの」と仰つてくださいました。とても氣が樂になり、今に至つてゐます。厚顔無恥ですね(笑)。
明治天皇の御製です。「敷島」は、やまとの枕詞です。
明治天皇御集の中の、このひとつあとの御製が、
明治天皇御集の中の、このひとつあとの御製が、
おもふこと 思ふがままに いひてみむ 歌のしらべに なりもならずも
です。
私は、自分の和歌が稚拙なのは、よくわかつてゐます。もう詠むのをやめやうかなあ、と思つたときもありました。あるとき、和歌でとても有名な人とお話ができるチャンスがありました。その方曰はく「いいのいいの、出来榮へなんか氣にしなくて、どんどん詠めばよいの」と仰つてくださいました。とても氣が樂になり、今に至つてゐます。厚顔無恥ですね(笑)。
思ふがままにいひてみて も 歌にはならないかもしれませんが、明治天皇も、そんなことを氣にせず詠めよと仰つてゐるのかなあ。そして、次の御製で、うるはしき我が國をうたひあぐと・・・。なんて、素直な、なんて「まこと」な。心が洗はれます。
では、三島由紀夫の文學的遺書である「小説とは何か」を學集しませう。
たとへばこんな例を考へてみたらよからう。昆蟲學者が蝶を採集し、サーカスのために捕獲業者が猛獣を捕獲するやうに、人間を採集しようとしてゐる異樣な人間。人間でありながら人間を採集するといふだけでも、すでに背德的な犯罪的な匂ひがするが、それも現實につかまへるのではなくて、言葉といふ捕蟲網で、相手の本質を盗み取つてしまふ人間。しかもそれを、宗教家のやうに責任を以てやるのではなく、無責任きはまるやり口で、自分の不可解な目的のために勝手に使役しようとする人間。何の權利ももたずにそんなことをする人間を、社會が容認してゐるのは、實はへんなことなのである。
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