一萬囘同じことを言へ(皇紀弐千六百七十七年五月二十三日 四)

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 これを書くと▲22です。

 宇佐美の親父、第八弾です。

 宇佐美のSSは、それぞれ個性があるのですが、ある部分ではきちつと意識が統一されていゐます。當時3000人からいる社員にどうやつてこの意識統一をするかを宇佐美氏に尋ねたことがありました。
 「おやじさん、人に言うこと聞かせるのは、どうやったらいいんですか?」なんて、バ カな質問をしたんでしょうか、私は。でも、ちゃんと答えてくれました。一言だけ「一萬囘同じことを言へ!」。 これ以上のマネジメント研修はないでせう。 氏は非常にわかりやすいのです。考えてみると人間とか經營とかはとても単純なものなのに、行っている私たちがそれをわざわざ複雑にするから、うまくいかな くなるのですね。

おやじさんのその後の言葉は、「寳德なぁ、一萬囘言へるやつもいないけど、聞けるやつもおらんぞ」「だいたい50回くらい言ったら聞きよるわ」「だ けどなぁ、たいていの場合、5回くらい言ったら、もうあきらめよる。それで、「言ったのに言うこと聞かない」とか、部下にしても、「お願いしたのにやって くれない」とか「たつた5回なのに、『何回も』と言いよる」「1一萬囘言ふ氣持ちが自分にあったら大丈夫だ」

 なんという眞理でせうか? 心理學である論理療法の中に、ABC理論といふものがあります。Aという物理的な事象が起きてBというその人個人の 受け止め方があるから、Cというその人の感情が生まれるとうものです。これを當てはめてみると、


 通常の人「A:指示した・お願いした・言った」「B:人は中々言うことを聞いてくれない」「C:何回言ってもだめだ」 となります。

 親父「A:指示した・お願いした・言った」「B:人は、何度も言えば必ず動きよる」
「C:1万回言えばいいから、何度でも言はう」となります。

 親父はもちろん心理学學などご存知ではありません。人生の體感を通じて眞理を軆につけていかれたのですね。素晴らしいことです。いつになったら、 親父の後姿をとらえることができるのやら。今日も精進精進。

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このページは、宝徳 健が2017年5月23日 04:04に書いたブログ記事です。

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