お前は生きようとしていない(皇紀弐千六百七十七年六月三日 參)

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 今回の親父の記事は強烈です。私の生きる指針にもなつたゐます。平成十九年(2007年)一月二十日の記事です。
 あるとき、一緒に車に乗っていて、ある工場の大きな建物がありました。よく覚えていませんが、その会社の名前がとてもユニークでした。そして、氏 が、私に聞きました。「宝徳、あの会社の名前は、なぜ、あんな名前なのかなぁ」 私は答えました。「そんなことわかりませんよ」。

 そしたら、怒られました。「誰がお前に正解を求めていると言った! 正解なんかわかるはずがないだろう。そうではなくて、ここの創業者はなぜ、あのよう なユニークな名前をつけたのだろうか、ということで、考えてみることが大切なんだ。たとえば、新聞のチラシを見て、ただ価格など漠然と眺めているだけでは だめだ。これを作った人はなぜ、このようなデザイン・レイアウトなどにしたかを一生懸命考えてみることが大切なんだ。お前は、気づこうとしていない。考え ようとしていない。だから生きようとしていない。どんなに知識があってもだめだ」

 一言も返せませんでした。内臓が全部、ぐっとしまりました。とても恥ずかしくなりました。

 私たち現在の日本人は裕福な社会に住んでいます。考えなくても今日も明日も生きていくことができます。考えなくても飢えることがありません。

 明治期、ロシアに征服されるような恐怖感で必死に生き抜いて日本を守ってくれた私たちの祖先。大東亜戦争後、必死に世界に伍する国を作り上げてくれた先輩たち。きっと、必死になって考えたのでしょう。

 今の私がどうかというと、まだまだです。久しぶりにこのことを思い出して、反省させられました。今まで、何人かのすばらしい経営者にお会いしてき ました。私の人生が終わる一秒前までに、この方達のレベルのどこまで近づけることなのでしょうか。それを目標に、もう一度自分を見直してみます。

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このページは、宝徳 健が2017年6月 3日 10:39に書いたブログ記事です。

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