命の手紙 30(皇紀弐千六百七十七年六月十一日 參)

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 今年九十歳(卒壽)になる父が、自分の人生を遺さうと必死に手紙を送ってきます。受け留めとして繋ぎます。金亨貞さんとの手紙のまとめです。父がその手紙に書いた、注記を掲載してゐます。
 金夫人の手紙にあるサンシャイン60には、手続きが済んでお昼を食べてから案内した。当時は東京では60階建てのビルは最高だった。

 奥さんには、この時は日本語の記憶がよみがえったのだろう。

 タドダドシイ日本語で「ワタシコレデ、ニホンノクニ、ゼンブミタヨ」と何度も東西南北をグルグル回っていた。

 韓国の皆さんは、朝鮮戦争前後に「北」から逃れてきたと思っていたが、そうではなかった。早い時期に「北」を脱出している。ある日、手ぶらで、さりげなく歩き出し(荷物を持っていると脱出だとわかる)逃れて来たのだという。

 金亨貞は英語の教師だというだけで迫害された。共産圏=北の所業は我々の想像を絶するものがある。

 当時、韓国は軍事政権だった。彼は言う。「いま韓国は軍事政権だ。多少不自由なこともあるが、少なくとも『ものが言える』」と。

 喫茶店で、「いまあの入口で機関銃を向けられて『言うことを聞かなければ撃つ』と言われたら、どんな無理な事でも聞くだろう。誰だって理由もなく死ぬのはいやだ。それが『北(朝鮮)』なのだ。」

 日本の新聞がそういった「北の所業」を一行でも書いたことがあるか。こんな話は来日した友人から何度も聞いた  おわり

※当時の日本のメディアは「北朝鮮は地上の楽園」と言っていました。

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このページは、宝徳 健が2017年6月11日 04:45に書いたブログ記事です。

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