どの本よりわかりやす南総里見八犬伝 再24(皇紀弐千六百七十七年六月十三日)

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 信乃が死のうとしたときに、糠助、蟇六(ひきろく)、亀篠(かめざさ)が飛び込んできたところまででした。
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 番作の推察通り、蟇六夫婦は、番作に死なれては、御教書(みぎょうしょ)の一件がでっちあげだというころがばれてしまうので、糠助の報告を受けて、慌てて駆けつけたのでした。そして、これまた番作の予想通り、村人の手前を慮って、信乃を養育することにしました。

 信乃は、「太刀を献上しなくてもよいなら仰せに従いましょう」と言ったら、蟇六は「太刀のことなど知らぬ。亀篠がつまらんくことを言ったんじゃろう」とごまかしました。

 喪が明けるまで父のそばにいたいという信乃の希望を入れて、糠助に身の回りの世話をさせ、同年代の下男、額蔵(がくぞう)を付き添わせました。信乃ははじめ額蔵は蟇六の回し者と油断しませんでしたが、額蔵が一生懸命働くので、時間が経つに連れて心がなごんできました。

 ある日、信乃が行水をしていると、信乃の垢を落とそうと、信乃の背中に回った額蔵が信乃の左腕のあざをみて、「若旦那にもこんなあざがありましたか。私にもそっくりのあざがあります。みてください」と、背中を見せました。なるほど、同じあざがあります。

 信乃が行水を終えて、まず着物をふったら、袂から白玉がひとつ転げ落ちました。額蔵が拾い上げて、「ふしぎだなぁ。若旦那はこれをよそから手に入れなさったのか、家から伝わったかどちらです?」と聞きます。信乃はいきさつを話しました。
 
 額蔵は、実は自分も持っているのだということで、自分の玉を信乃に見せました。さ~あ、二人目です。額蔵は、何の字の玉を持っているのでしょうか。八つの玉は「仁義礼智忠信孝悌」です。信乃は「孝」です。
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このページは、宝徳 健が2017年6月13日 07:30に書いたブログ記事です。

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