戰國策 再3(皇紀弐千六百七十七年六月十八日 六)

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 みなさん、蘇秦の名前は覚えておいてください。昨日も書きましたが、戦国7カ国で最も強力な秦をおさえるために、他の6国をまとめ、合従(がっ しょう)連合をつくって政治家です。でも、そんな蘇秦にも苦節の時代があったことをみてきました。ここ数回のタイトルは「貧窮なれば、父母も子とせず」で す。

 さて、「揣摩(しま)の術」を会得した蘇秦です。

 まず趙にはいりました。きらびやかな宮殿で趙王に謁見し、完全に意気投合した蘇秦です。趙王はことのほか喜び、高い地位につけたうえ、宰相にとりた てました。蘇秦は戦車百輌を従え、錦千束、白壁百対、黄金満溢を車に積んで諸国を遊説し、連横(れんこう)を論破して合従を約束させ、秦の勢力を押さえま した。蘇秦が趙の宰相になって、秦は孤立しました。

 かくして、天下万民のこと、王侯の威信、謀臣の権力、いずれも蘇秦の考え方で決まりました。諸侯は、糧食を浪費せず、一兵も動かさずに、一矢も用 いずに、兄弟のように親しくつきあうようになりました。一人の賢人が現れて、天下を服従させたのです。

 蘇秦は、貧乏な家の出身です。それがひとたび認められ、天下を駆け巡り、秦と対抗する政治家となりました。

 さて、蘇秦は、諸国遊説のたびの途中で、家族に会います。明日は、このタイトルの最終回です。さあ、家族はどんな態度を蘇秦にとったでしょうか。 つづく。

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このページは、宝徳 健が2017年6月18日 09:59に書いたブログ記事です。

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