戰國策 再5(皇紀弐千六百七十七年六月二十二日 四)

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 支那の戰國時代は、濤亂に富む環境を背景に、さまざまな人物がエピソードを織り成します。奇想天外な発想、意表をつく論理、男の意氣地、はった り、ほら話、どれをとってもせせこましい現代に生きる我々には、とても参考になります。この時代は、必死になって智慧を絞らないと、生きていけなかったの でしょうね。

 今日から「誘いに乗る女は妻にはできぬ」です。

 戦国時代は、人間関係のからみあいがきわめて複雑でした。君主に疑われることは死を意味します。 信頼を回復するために、遊説の士がとった話術の一例です。今回出てくる張儀もこの時代の有名人です。名前を覚えてください。

 遊説の士・陳軫(ちんしん)が、楚から秦に帰ってきました。すると張儀(ちょう ぎ)が恵王に言上しました。

「陳軫は王の家臣でありながら、いつも国内の情報を楚にもらしてきました。とても一緒に仕事はできません。追放してください。また楚に行こうとした ら、どうか殺してください」
「もう楚には行くまい」

 恵王は、張儀にそう答えておいて、陳軫を呼び出しました。

「何でも望み通りにしてやろう。今度はいったいどこに行くのか。車を出してやるつもりだが」
「楚に行こうと思います」
「張儀がな、「やつは楚に行きますよ」と言いおった。私も実はそう思っていたのだ。楚に行くことはならぬ、と言ったらどこに行く?」
「行くからには、楚以外にありません。楚に行ったら、あなたと張儀の指示にしたがい、二心のないところをお目にかけます」

 といって、陳軫は、あるたとえ話をはじめます。このたとえ話がとても面白いのです。明日書きますね。

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このページは、宝徳 健が2017年6月22日 22:20に書いたブログ記事です。

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