蓮始開(皇紀弐千六百七十七年七月十二日)

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 今は、二十四節氣の小暑(しょうしょ)です。そして七十二候は、昨日までが、温風至(あつかぜいたる)。今日から、小暑 次候 蓮始開です。「はすはじめてひらく」と讀みます。

 蓮がゆっくりと蕾をほどき、花を咲かす頃です。 水底から茎を伸ばし、水面に葉を浮かべ、綺麗な花を咲かせる蓮ですが、花が開いてから四日目には散つてしまひます。

蓮の花の名所in東海

 愛知県の彌冨あたりは蓮の名所です。それはそれはきれいです。

 ところで、如来は、蓮に座つてゐますよね?
 専門用語で説明すると理解が促進されないので、簡單に云ひます。

 世の中は、どろどろ。人間社會はどろどろです。蓮の花は、泥の中に咲きます。

 でも、蓮は、泥に染まらず清浄無垢の美しい大きな花をつけます。泥水を煩惱、苦しみの世界を表し花を悟りの世界を象徴してゐます。

 だから、修行次第では、泥のやうな世の中にも、きれいな花を咲かせることを意味してゐます。 

 また、ほとんどの花は、花が咲き終わってから実をつけますが、蓮はつぼみの時から、すでにその花辯の下の臺に實をついてゐます。これは、皆が生まれながらにして、佛に成る性分を具へてゐることを象徴していて、華果同時(けかどうじ)として仏教では尊ばれます。

 あきらめてはだめなのですね。

世の中の どろのさなかに 軆を置きし いつの時にか 咲かせるために

 へたくそな歌だなあ。

 蓮葉(はちすば)の 濁りに染まぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく(古今集)

「蓮の葉は、周りの泥水の濁りに染まらない清らかな心を持っているのに、どうしてその上に置く露を玉と見せかけてだますのか。」

 うまいな~。

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このページは、宝徳 健が2017年7月12日 07:40に書いたブログ記事です。

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