福岡髙校テニス部日誌 S(皇紀弐千六百七十七年七月十二日 弐)

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  今囘は弥永君です。昭和五十二年、私たち、福岡髙校男子硬式テニス部は インターハイ出場を果たしました。監督もコーチもいませんでした。髙校スポーツで、指導者がいないといふのは致命的です。そして、キャプテンであつた私は、インターハイ予選(縣)が近づくにつれてプレッシャーでボールが打てなくなるほどでした。それでも、インターハイ出場を果たしました。技術とかそんなものではありません。「インターハイに出る(出たいと言つたことは一度もなかつた)」「出なければ死ぬ(というところまで思ってゐた)」といふ精神の強さが、きつとそれを可能にしたのでせう。「インターハイ予選で負ける」といふ選択肢は、私たちにありませんでした。

目的:(テニスの名門でありながらそれまで低迷していた)福髙テニス部の傳統と誇りを取り戻す
目標:そのためには最低インターハイに出場する(この目標が間違つてゐました。インターハイで優勝するとしないと。これが監督もコーチもいない髙校生だけのチームの限界です)。
手段:だから、どんな苦しい練習もやる。どんなに練習でつらくても試合で負ける苦しさよりはまし。

 純粋だつたなあ。 でも、明るいテニス部だつたんですよ。この日誌をご覧いただければわかりますよね。
1月10(月) くもり 弥永

ボールの数
 すいません! 許してください! 命だけは助けてください! かずえるのをわすれてしまいました。

練習内容
ストローク
サービスコート内でボレー(for1年)
ボレー(2年) すでに真っ暗でした
コートダッシュ
トレーニング


 ①~⑦を3回
①ダッシュ ②おんぶ(途中交代) ③けん垂 ④ジョッグ ⑤のぼりおり 2往復 ⑥ジョッグ ⑦かたふつま(とちゅうこうたい) なづけて ミックス!!

欠席者 埜田さん

感想
〇今日は新しく開発されたボレーの練習があった。なんでも反射神経をきたえるらしい。それにしてもむずかしかった。先ぱいたちはバシバシとあざやかに返すのに、ぼくたち1年生はカキン(フレームにあたる音)、シュ(かすりもしなかった音)、ポン(たまたまあたった音)。ボールをこわがってはいけないと思っても、なぜか足が自然とさがってゆく。それこを反射なのである。

〇きのう、真城君と浅川君は、機動隊とデモ隊をかきわけて学校にきたそうである。ごくろうさま。

〇実力10日前。もはや手おくれえという気もしてきたが、最後まで、ばんばるため、このへんでやめにして寝たいと思います。

   
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このページは、宝徳 健が2017年7月12日 07:56に書いたブログ記事です。

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