戰國策 再11(皇紀弐千六百七十七年七月十六日 四)

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 蘇秦と張儀の話の続きです。尋ねてきた張儀を蘇秦は冷たくあしらいます。張儀は、腹が立って、腹が立ってなりません。蘇秦に目にものみせて くれんと、発奮します。蘇秦がいる趙の国をやっつけるには秦以外にありません。張儀は秦に向かいました。これからが面白いのです。次回ね。
 さて、楚王に意見を述べた陳軫ですが、受け入れられません。

 楚王は、斉に使者を出して、国交を断ちました。その使者の帰国を待ちきれず、かさ ねてダメ押しの使者を出しました。張儀は秦に帰りました。そして、斉に使者をやって、ひそかによしみを通じました。一方、楚王は、約束の土地を受け取るべ く将軍を秦に派遣しました。ところが、張儀は病気と称して会見しようとしません。その報告を受けた楚王は、「張儀は、まだわしが斉との国交を断交していな いと思っているのか」と、ご丁寧にも、斉に勇士を派遣して、斉王を面罵させました。斉と楚が完全に手を切ったことを知って、張儀は、ようやく腰を上げ楚の 使者と会いました。

 さあ、ここからが張儀の外交戦略です。孫子の兵法にも「兵は詭道なり」とあります。戦争とはだましあいだ、という意味です。日本人は真面目すぎま すから、外交においても、謀略というものを使いません。でも、相手が勝手に負ける状況をつくるのは、軍隊を出して戦争をして消耗をする事よりもよっぽど大 切です。今の、中国なんか詭道だらけです。この戦国策には兵は詭道なりがたくさんあります。つづく

つづ

つづく

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このページは、宝徳 健が2017年7月16日 05:00に書いたブログ記事です。

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