戰國策 再13(皇紀弐千六百七十七年七月二十六日 五)

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 最初は、蘇秦と張儀の話の続きからですね。蘇秦を怨んでいた張儀ですが、それは、蘇秦のはからいだと知ります。蘇秦は、誰か心を通じる人間を秦に 送りたかったのです。それは合従連合を成功させるためでした。張儀は蘇秦の生きている間は、その恩を徳として、合従連合を切り崩しませんでした。合従連合 に対抗する言葉が連横論です。秦が一対一で各国と付き合うというものですが、張儀は、蘇秦が生きている間は、この連横論を展開しませんでした。

 さて、今日から新しいお話です。「息壌(そくじょう)の戦い」です。
 この話は、また面白い。君主というものは気まぐれなものです。その気まぐれさをしっかりと押さえた対応が見事です。何日かに分けて掲載します。

 秦の部王が大臣の甘茂(かんぼう)に言いました。

「周の王室をおさえるために、韓の宣陽(ぎよう)を通って三川(さんせん)まで車道をつくりたい。そうすれば、我が亡きあとも秦は安泰だ」

周はまだほろんでいません。力はありませんが、権威はありました。それを押さえることは春秋時代には大切なことでした。でも、そこに行くには韓が邪 魔になります。甘茂が答えました。

「魏に行って、韓を討つほうに工作してきます」

 王はお気に入りの向寿(しょうじゅ)を副使として従わせました。魏に着くと、甘茂は向寿に言いました。

「さきに帰って、王に「魏は甘茂の申し入れを聞きました。しかしまだ韓を攻めぬうように」と申し上げてほしい。この仕事が成功すれば、手柄は全部あ なたに進呈するから」

 向寿は帰国してそのように王に言上しました。王は息壌まで甘茂を呼び戻し、さっそくそのわけを尋ねました。

 ここからの甘茂のもっていきかたが絶妙です。企業においても活用できます。明日からをお楽しみに。

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このページは、宝徳 健が2017年7月26日 01:29に書いたブログ記事です。

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