命の手紙41(皇紀弐千六百七十七年八月十五日 四)

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☐昔話
 の第二弾

☐第二次世界大戦末期の昭和20年に旧満州(現中国東北部)でソ連軍に捕まり、シベリアで抑留された日本人男性がロシアでせいぞんしていることが新たに判明した‐毎日新聞‐ 

のつづきです。
 現在の田中さんは「ありがとう」「忘れました」「座りなさい」などの片言以外、日本語を話せない。「田中明男」の名前を書いてもらうと、「田中明」までは正確に書けたが、「男」は「口」に「力」だった。父トミキチさんや、妹のキミコさんの名前は覚えているが、漢字では書けない。

 田中さんの存在については露紙「論拠と事実」が4月初旬に報じた。記事をインターネットで読んだ日本の人々が「訪日を実現させたい」と支援を申し出ている。田中さんは「とてもありがたい。生まれ育った遠別や、父が働いていた登別温泉を見ることができれば幸いだ」と話している。

 抑留生存者を巡ってはロシア南部カルムイキア共和国に住む中川義照さん(90)=山形県出身=が平成18年に一時帰国を果たした例がある。  つづく

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このページは、宝徳 健が2017年8月15日 09:04に書いたブログ記事です。

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