命の手紙 42(皇紀弐千六百七十七年八月十六日 參)

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 福岡髙校テニス部日誌のコピーを北陸事務所に忘れてきてしまひました(涙)。

 九十歳になる親父が、遺したいことを手紙に書き綴るつてきます。しょっちゅう。引き繼ぎます。

 つづきです。

☐昔話
 の第三弾

☐シベリア抑留
 第二次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソ連によっておもにシベリアなどに労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する、日本側の呼称。

 厳寒環境下で満足な食事や急用も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、多くの抑留者が死亡した。

 このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に反するものであった。ロシアのエリツィン大統領は平成5年10月に訪日した際、「非人道的行為」として謝罪の意を表した。

 ただし、ロシア側は、移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に拘束した「捕虜」であり。戰爭秋月後に不当に留め置いた「抑留者」には該当しないとしている。 つづく

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このページは、宝徳 健が2017年8月16日 08:17に書いたブログ記事です。

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