命の手紙 46(皇紀弐千六百七十七年八月二十九日)

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 しばらく父から手紙が來ないなあ、と思つてゐたら、風邪で寝込んでいたそうな。大丈夫かいな、と、すると、電話が「誕生日おめでたう」(笑)。昔の人はいつも自分のことより他人のことですね。

今日は、

☐十で天才、十五で才子(さいし)、二十過ぎればただの人  他

です。昔よく使われたフレーズですね。さあ、讀みませう。私のことではありませんよ。親父のことですよ。
 子供のころ紙と鉛筆さえあれば機嫌がよかったボクのこと言っているのかもしれない。玩具はいらなかった。

 小三のとき、偏(へん)と旁(つくり)があり、漢字の読みはつくりの音読みで決まると先生が言った。たまたま父兄参観があったとき先生が黒板に「縮」と書き、なんと「ヨムか」と聞いた。シュク(縮)の漢字は習っていなかったが、手をあげたボクは「シュク」と答えた。縮のヨミはわからなくても「宿題の」は知っていたから・・。

☐小学校、中学校、松山海軍航空隊→敗戦
 戦後、同窓会・海軍同期会の集まりのたびに「頭のいい宝徳」と言われていたが、十(とお)で天才、十五で才子(さいし)、二十(はたち)過ぎればただの人の通りになった。

☐高安が大関になった
 大関告知の使者に「大関の名に恥じぬよう正々堂々と精進します」といったら日ごろうるさいメディアを先頭に、日本国が褒めたたえた。

【広辞苑】精進:一生懸命努力すること
 「正々堂々」と「精進する」の言葉がつながらない。言葉遣いがおかしいのではないか。

☐前川(前)文部科学省事務次官
 辞めた後で己が事務方のトップ=次官をして仕切っていた職場のうっぷんをさらけ出した。

 いいかい、辞めるまでうまくいかなかったことはみな、己の器量不足に起因する。こういうヤツがいるから世の中はうまくいかない。卑怯である。

 心に積もる怒り。抑えに抑えた恨みはみな、冥途にもっていくのだ。生き返ったら、もっとちゃんとした男になってくれ。

☐人参が好きな男はスケベーか。
 ボクは中学校に入るまで体が弱くて変色が激しかったが、不思議なことに、みんなが嫌いな人参だけは好物だった。俗説が本当かどうかPCで調べてください。ボクは調べました。

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このページは、宝徳 健が2017年8月29日 07:27に書いたブログ記事です。

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