重用の節句(皇紀弐千六百七十七年九月九日)

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 今日は、五節句のひとつ九月九日重用の節句です。このブログでも繰り返し書いてきました。今年も書きますね。

一月七日:人日(じんじつ)の節句 七草粥を食べます。

三月三日:上巳(じょうし)の節句 三月の最初の「巳の日」という意味です。「禊ぎをして穢れを祓ひ、軆代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあり、江戸時代以降「雛祭り」として庶民の間に定着しました。別名「桃の節句」は有名です。

五月五日:端午の節句 五月最初の「午の日」という意味です。古くは「藥草摘みの日」であり藥草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立軆出世を願ふ行事へ轉化していきました。

七月七日:七夕(しちせき)の節句 別命 笹の節句です。

九月九日:重陽(ちょうよう)の節句 「九」という数字は、易によれば「陽數の極」にあたり、これが重なる(非常にめでたい)という意味です。支那の風習(この日に菊の花を飾り、邪氣を祓つて長寿を禱るといふもの)が元になつていて、宮中では重要な節句として位置付けられてゐます。別名「菊の節句」です。

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 おてんば姉ちゃん、清少納言の枕草子には、重用の節句はかう書いてあります。

九月九日は、曉がたより雨少し降りて、菊の露もこちたくそぼち、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされたる。つとめては止みにたれど、なほ曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたるもをかし。(七段)

 「おほひたる綿」とあるのが「菊の被綿(きせわた)」のことです。節日前夜、菊の花に綿をかぶせ、夜露をしみこませる為のもの。この綿で顔や体を拭くと長命を得られる、という俗信があったとのことです。

 菊の露といふのは重宝されてゐたみたいですね。こんなのもあります。藤原雅正といふ人の逸話です。

 。雅正の隣家には歌人の伊勢が住んでいて、その庭に植わつてゐた菊の露をお裾分けしてもらおうと、九月八日の夜、雅正は人をつかわしました。翌朝、伊勢から、折り取つた菊の花と共に、歌が贈られてきます。

數しらず 君が齢(よはひ)を 延ばへつつ 名だたる宿の 露とならなん

 「名だたるお宅の露となって、限りなく貴方の寿命を延ばしましょう」。
 綿を被せられた菊の身になって詠んだ歌です。雅正の家を「名だたる宿」と言っているのは、彼の父が有名な歌人兼輔であったためでしょう。

 これに対し、雅正は次のような歌を返しました。

露だにも 名だたる宿の 菊ならば 花のあるじや 幾世なるらん

「露だにも」の露は、綿に染み込んだ露と、「少しも」という意味の掛詞になっています。「たとえほんの少しの菊の露でも、名だたるお宅の菊の露なのですから、さぞや長寿の効驗があることでしせう。ましてや、花のご主人様でいらっしゃる貴方は、どれほど長生きされてゐるのでせうか」。

 「名だたる宿」をそのまま、名高い歌人であった伊勢への褒め言葉として返しています。露をもらった感謝と同時に、伊勢の名声・長寿を讃へる挨拶をこめた、巧みな返歌です。若い頃、天皇や貴人たちの寵愛を集めた伊勢も、この頃はかなりの高齢だったのでしょう。

 菊は長寿の藥。菊は皇室の御門。だから、我が國は世界で唯一歴史が連續した人間社會の妃の國なんでせうね~。

 栗ご飯を食べたいなあ。

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このページは、宝徳 健が2017年9月 9日 09:01に書いたブログ記事です。

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