福岡髙校テニス部日誌 S(皇紀弐千六百七十七年九月九日 弐)

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 今囘は、安河内信二君。安河内Bです。

 福岡云ふ土地は、もちろん日本海側です。ですから、冬はどんより。なかなか晴れません。寒いし。だから、この時期のテニス部はなかなかボールを打つことができまsん。トレーニングにも飽きてきます。部員のモチベーションを維持するためにあれこれと工夫が必要です。
1月29日 曇(私だって漢字は知っている)  信二の親(不肖の子をもつとかなしいものだ)

ボール数
 藤君、いくら使ってなくても数えるのが後に書く人への義務であり、責任であり、親切だと思う(結局僕も同じ)

練習内容
 東公園でまず ラグビー 30分ハーフ

 座談会(鬼頭さん、桧山さん、佐野さんの気持ちがよくわかった)

 ひまわり(いなかの遊びは純朴でおもしろい。それに比べて都会(古賀市)でrichな生活におぼれている僕は乳母が許してくれない。とにかく面白かった)


すもう(これまた人間の闘争精神をきそうスポーツでぼくのように未来はもう貴公子に決まっている僕にはとても珍しかった。

 その他

感想
 この前、ぼくは岡村君流にいえばケンタイ炎で休んでいたので順番を飛ばされたので久しぶりである。どうもこのごろテニス部はぼくにに対しての風あたりが強いようである。出る釘は打たれるというが正にその通りで、粕谷や和白でpoorな(僕には想像もできないような)生活をしている彼等にはぼくの貴公子のような生活がねたましいらしい(ぼくの尊敬する山本哲也先生風にいえば教養の差、いや、生活の差であろうか)。しかも彼らは先輩と結託してぼくをいびっている。なげかわしいことだ。

 話はがらりと変わるし、文体もがらりと変わる。もう今日のテストの結果。先生から見せてもらったら、もうがっくり(「もう」を2回使ったのは強調。しばしばいうがこれが教養の差である)。石橋君からは「勉強不足たい」とけなされるし、田中からは「はよテニス部やめー」といつもいわれるし(この前はトレーニング中に言われた)。もうなさけなかー。一時は本当に胃が痛くなるまで考えて心がグラついたが、ばってん、やっこさん(Aの方である。Bは内心自分と同じように落ちたのをよろこんでいる)からのあたたかいはげましにあって、もうひとふんばりすることにしたったい。

 この文体の相違は、前者はデアル調で説明文的な要素をもっており、しかも事実は端的にかたっている。後者は一見卑近あ話し方で書いてはいるが、それによって事実をぼかすのではなく、事実と描写の融合をはかっているのである(この意味が分からない人は山本哲也大先生にきいてください)。

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このページは、宝徳 健が2017年9月 9日 09:18に書いたブログ記事です。

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