我が國の武(皇紀弐千六百七十七年九月九日 六)

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 支那の兵法には、孫氏、呉子、六韜三略などがあります。歐州にはクウラゼウィッツの戰爭論があります。でも、これらの兵法は、相手を欺くことはあたりまえ(孫氏の兵は詭道なり 戰爭とは相手を欺くものだ)に代表されるように何か正々堂々としたところがありません(若い時はむさぼり讀みましたが)。

 そんな戰ひではだめだと、我が國でつくられた兵法が「闘戰經 とうせんきょう」です。これは、いずれ詳しく書きますが、なんと、九百年前のこの兵法があるルートで残つてゐるのです。

 この内容がまた素敵です。人間社會の奇跡を創造した我が國 日本。兵法の世界でもそうなんです。武力を持たないことが平和だと錯覺してゐるおバカな國民を多いのは敗戰後の腐った教育の責任です。眞理、眞實をしつかりと教へてゐれば、そんなことがいかにおろかなことかは明白です。


 我が武なるものは天地の初めに在り、しかして一氣に天地を両(わか)つ。雛の卵を割るがごとし。故に我が道は萬物の根元、百家(ひゃっか)の權與(けんよ)なり。

 闘戰經にある言葉です。
 つまり太古の昔から我が國には武があつたとするものです。イザナギとイザナミが天沼矛(アメノヌボコ)を與へられ、オノゴロ島を造ったのも、武をあらはしてゐます。

 詳しくは、いずれ闘戰經を解説するときに書きます。

 この「武が一氣に天地を両つ」のところを今日は解説して、なぜ、我が國の武が素晴らしいかを紹介します。

 全ての生命が實在した生命を起源として「両つ」、すなはち細胞分裂や種の分裂のやうな分裂を重ねることによって今日まで生成・化育してきたことは、普遍の眞理です。

 我が國では、「武」を「む」とも發音します。これは「むす」「むすぶ」「むすこ」「むすめ」の「む」、「産む」の「む」です。

 「むす」とはものの生じることを意味します。古來日本人は、新たな社會秩序をもたらす「武」と、新たな生命をもたらす「産」を一体のものと考へてきました。

 神武天皇の東征などにもみられるやうに、まつろはぬ者を従はせ、秩序ある社會を創り、そこに育つ文化や文明を護ることにありました。

 我が國及び我が日本人が踏み行ふべき「武」の道とは、太古の昔から引き繼がれた「直」にして「誠」にして「ただし日」「すがすがしくて」「明朗」なのです。我が國が武を持つことこそ、世界平和に最も貢献できることが正しい歴史を知ることで理解できます。

 現実問題、現在、我が國が正しい武を持てが、北朝鮮問題など起きていません。もつと云ふと、バカなアメリカが我が國をつぶさなければ、近衛文麿や山本五十六のような愚かな指導者でなかれば、大日本帝國は、健在でした。

 共産主義は廣がらなかったでせう。朝鮮戰爭が起きなかつたでせう。ベトナム戰爭は起きなかつたでせう。ウィグルもチベットも素晴らしい文化を世界に誇れたでせう。

 だつて、正しい武の意味を知ってゐるのは我が國だけなんですから。

劔刀(つるぎたち) いよよ研ぐべし 古(いにしへ)ゆ 清けく負(お)ひて 來にしその名ぞ
大伴家持

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このページは、宝徳 健が2017年9月 9日 10:02に書いたブログ記事です。

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