どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再49(皇紀弐千六百七十七年九月十日 參)

| コメント(0) | トラックバック(0)
  すこ~しだけ、話が変わります。すぐに戻りますので。信乃と見八が川に浮かべてあった舟に落ちて、その舟が流されてどこかに行ってしまったところまででしたね。
 下総の国のことは以前話をしました。安房を中心とした房総半島に南側は上総の国と呼ばれています。千葉県の北から茨城県にかけては上総の国です。なんで、都から遠い方が「上」で近い方が「下」なのか、不思議に思われるでしょうが、昔は、舟で、木更津に行っていたので、南房総の方が都から近かったのです。だから、南房総が上総になっています。それと「麻」がたくさんとれたので、それがなまって「総」になりました。

 さて、その下総の国の行徳のある橋のところに、旅籠がありました。その旅籠の主(あえて名前は出しません)は妻は一昨年に亡くなりましたが、子供が二人います。兄と妹です。兄は、二十歳ですごい力持ち、いろいろな武道をやっています。娘は十九。

 この旅籠の主人は、商売にあまり欲が無く、何とか食っていけたので、暇があれば入り江で釣りをしていました。あるとき、釣りをしていると、その日に限って一匹も釣れません。ふと見ると、向こうの方から、舟が流れてくるではありませんか。中を除き見ると、二人の武士が死んだように倒れています。面倒に巻き込まれてはいけないと、舟を釣竿で、向こうに押し戻そうとしました。

 でも、よく見てみると、二人の武士のうち、一人は、右の頬に牡丹の花の形をした痣があります。その痣に見覚えがある主人は、これは、放っておけないと思い、舟をたぐりよせました。抱き起こし介抱しようとしたところ、もう一人を蹴っ飛ばしてしまいました。

 その蹴っ飛ばした武士は、息を吹き返しました。

 もう、おわかりですね。信乃と見八です。さてと、この後はつづく。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7129

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年9月10日 16:20に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「命の手紙 51(皇紀弐千六百七十七年九月十日 弐)」です。

次のブログ記事は「戰國策 28(皇紀弐千六百七十七年九月十日 四)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。