歐州の兵法(皇紀弐千六百七十七年九月十日 五)

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 私たちは、子供のころから、歐米はすごいといふ教育を受けて來ました。なので子供の頃は、歐米のものが花盛り。映画などは、ほとんどがアメリカPRです。アメリカはこんなにすごいんだ!といふ内容ばかりです。たまに日本を馬鹿にしたものも(笑)。猿の惑星など、日本人を猿にみたてた映画です。それが米國ではあまりヒットせずに、日本で大ヒット(笑)。作った人間は、ギャフンですね(笑)。

 でも、たいしたことないんです。歐州なんて暗黑の歴史そのものです。

 兵法もさうです。
 西歐の兵法は「征服」が目的です(まあ、西歐の兵法はたいしたことはありませんが)。

 歐亞大陸で行はれた民族移動が征服の歴史です。ユダヤ教→キリスト教→イスラム今日などの一神教は、よく讀めば、同じ神樣と云ひたくなります。

 そして、大昔、神の意思に反して禁斷の木の實を食べたために、罪の子としhて見放された人間集團が西歐諸國です。これは、西歐の人間から口に出ることはありません。

 だから、諸國や民族とつながりをもたない神なんです。だから、人間が自然と對立しhて、征服思想を抱くようになります。

 日本画は、自然の風景がとても多い。でも、西歐の繪画は、人の繪だらけです。それは、人間の方が偉いとしなければ彼らは精神を維持できないからです。

 「異教徒は殺さなくてはならない」。宗教戰爭當時のカトリック教會主義の言葉です。

 兵法も自然とさうなります。クラウゼウィッツの「戰爭論」など近世以降にやつと出てきた兵法のやうなものでも、これら西歐の征服者の戰爭觀です。

 昨日の我が國の武とはえらく違つてゐます。

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このページは、宝徳 健が2017年9月10日 16:29に書いたブログ記事です。

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