命の手紙 52(皇紀弐千六百七十七年九月十一日 參)

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□昔話
 のつづきです。
 三弟・〇は、三菱原子燃料輸送㈱で原子燃料の輸送を担当していた。

 (すべて機密)、ある日の朝、パトカーに前後を守られた玄海原子力発電所向けの原子燃料が、密かに日立港に向けて三台のトラックが走り出した。

 そのルートは「核ジャック防止」のため誰もわからないし、日付も明らかにされていない。

 一般の道路や高速道路を、渡した詩hの寝ているすぐそばを走り抜けていく原子燃料輸送のトラックには、原爆をつくるには三発分、一兆人分の許容量に当たる毒物(プルトニウム)が積まれている。

 日立港は太平洋側だが、出向したら北上して津軽海峡を抜けて日本海→唐津のルートや、博多港で荷揚げして陸路唐津を目指すこともあると弟〇は言っていた。陸路をたどるときは深夜の道路のすいている時間を選ぶ。原子燃料輸送は命を懸けた輸送というべきか。

 〇は、原子燃料輸送をしていたから輸送計画の打ち合わせなどで警察官との接触が多かったので、警察には友人?が多かった。

 ある日、三菱原子燃料㈱に行く。守衛所で「宝徳佳男」と記帳すると、〇に用事があって来たのではないのに、守衛さんが〇に連絡、彼が現れて目的の事務所まで同行してくれて、用件が終わると〇と雑談して帰っていた。

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このページは、宝徳 健が2017年9月11日 04:42に書いたブログ記事です。

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