命の手紙 53(皇紀弐千六百七十七年九月十二日 弐)

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 今年、九十歳になった父が大量に手紙を送ってきます。何かを遺したいのでせう。私がこのブログに遺します。さういへば、最近こないなあ。1か月前風邪をこじらせたと妹から。母の誕生日の今日、電話してみます。

 今日から新しい手紙です。もう叔父の名前を出していいですね。父の弐番目の下の弟 卓(たかし)です。

☐宝徳 卓の思い出
 卓は、昭和12年10月10日、朝鮮咸鏡南道元山府(ちょうせんかんきょうなんどうげんざんふ)明治町6番地の19で生まれた。元山(朝鮮語でウォンサン)からは北朝鮮が度々弾道ミサイルを発射している。
※道は日本内地の県、府は市に当たる。

 父・義一の咸鏡南道道庁(県庁)への転勤で咸鏡南道咸興府に移り、のち興南府に転居。ここで興南府西湖里にある西湖津(せいこしん)小学校に入学した。

 佳男とは10歳トシが離れているので一緒に遊んだ記憶はあまりないが、幼児は床屋(散髪)に行くと機嫌が悪くなるのに、この子はニコニコしていたのが記憶にある。

 小学校1年生の時の夏休み、8月15日-敗戦。抑留。脱出して博多に揚った(帰国)した。

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このページは、宝徳 健が2017年9月12日 00:15に書いたブログ記事です。

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