源氏物語 69(皇紀弐千六百七十七年九月二十七日 五)

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 今の教育に欠けてゐるのもののひとつに「教養」があります。今の日本で俗に云はれてゐるエリートは、ただ知識と金と地位がある人のことを言つてゐるだけです。本来のエリートではありません。

 明治時代となり、洋行がブームとなりました。ほんの少し歐米に行つただけで歸つてきたら偉さうにする奴らがいました。そいつらが作つたのが東大法學部です。そして、官僚を作り、昭和になつてから、その官僚たちが國家を破壊しました。軍もしかり。官立教育はせいぜい義務教育までで充分です。

 明治初期の男たちは、武士でした。彼らは國家を常に頭においてゐました。そしてその男たちを支える女性たちの婦道。どんな仕事についていても、どんなに収入があつても、「天下國家」を考へてゐない連中はリーダーとは呼べません。

 逆に、たとえば(表現は惡いですが)道端のごみを拾つて生計を立てていても、天下國家のためにやつてゐれば、その人はリーダーです。眞のエリートです。

 「教養」と「リーダーシップ」が今の教育で圧倒的に抜けてゐるものです。

 古典は、教養を磨くのに最適な教材です。ひさしぶりの源氏物語です。

 藤壺が突然、「出家します」と云ひだしたところまででした
 桐壺院が亡くなつてからの宮中の雰囲気に辟易としていた光源氏も藤壺の氣持ちがわからないでもありません。

 藤壺が中宮の立場を棄てて尼宮となりました。それからも、なんどか光源氏はこの尼宮を訪ねていきました。まあ、これはこの邊でおいておきます。

 そして、光源氏はまた朧月夜を密會をするようになりました。なんとまあ、東宮の女御ですよ。政敵右大臣側の親類ですよ。

 それも右大臣側には、支那の故事を引き合いにして「光源氏に謀反あり」とほのめかすやからもゐる情況なのです。

 さて、朧月夜が體調を崩し、右大臣家に里帰りをしてゐることを光源氏は知りました。 さてさて。

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このページは、宝徳 健が2017年9月27日 08:41に書いたブログ記事です。

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