命の手紙 59(皇紀弐千六百七十七年十月十二日 弐)

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 九十歳の親父が手紙をどんどん送ってきます。今日も來てゐました。ブログが追いつきません(笑)。つづきです。

☐宝徳 卓の思い出 つづき
 辛い時代だった。ボクは現場で働いていたので、不慮の事故で死んだときの助けになると思い、乏しい給与から生命保険の契約をした。
 
 「飢餓突破資金」「越年(冬)資金」を会社に要求した。ボーナスのことです。みんな飢ゑてゐた。食べ物を買おうにもお金がなかった。ボクは電車通勤していたが(腹が減って)ホームで立っておられなかった。選挙のスローガンは「米を一日2合5勺(にごうごじゃく)(ご飯を茶碗2杯半)寄こせ」だった。

 「朕はたらふく食っている爾臣民植えて死ね」共産党は天皇批判を書いたプラカードを持って皇居前広場を練り歩いた。  この手紙をはり

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このページは、宝徳 健が2017年10月11日 22:32に書いたブログ記事です。

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