2017年11月アーカイブ

 上野国(こうづけのくに)の管領、定正のところに、一人の男が銘刀村雨丸を持ってきたところまででした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子
 私は、父方も母方も北朝鮮からの引揚者です。父方は、祖父がソ連軍に拉致され歸へらぬ人ととなりました。父は、海軍です。つまり、祖父と父がいないまま、家族は引き揚げてきました。母方は、長男の伯父が從軍してゐました。毎年、敗戰屈辱日になると母が、引き揚げの際のすさまじい體驗をたくさん話してくれました。38度線を越えるとき、もちろん「ここが38度線ですよ」なんて線はひいてませんから「さあ、38度線を越えたか、さあ、越えたか」と必死になつて歩いたさうです。その時、向こうに外國人の兵士が「ああ、ソ連兵だ。もうだめだ(ソ連兵は、日本人を見つけると略奪暴行がひどかった)」と思ったとき「お人形さんのようなきれいな兵隊さんが立つてゐたの」(母)。そして、「もう大丈夫ですよ」とカタコトの日本語で。「助かつた~」と力が抜けたさうです。 戰爭はもちろんしてはならない。ぎりぎりまで。でも、もつと大切なことがあります。戰爭は敗けてはならない(つまり敗ける喧嘩はするな)。よく「戰爭の記憶を忘れないやうにしよう」とメディアが叫びますが、違います。「敗戰の記憶」です。
 もう一つ、我が國は、我が國の都合だけの戰爭はやったことはありません(近衛文麿・山本五十六のやうに、とんでもない官僚バカが國を滅ぼしたことは事實ですが)。

 では、つづきです。
 私の好不調のバロメータは、ブログと讀書ですね。これに手紙が加はると絶好調です。この3つが出来てゐるときは、仕事もかなり好調です。

 このブログでも繰り返し書いてゐますが、私は、1冊をじつくり讀んで、讀み終はつたら次の本を讀むといふやり方ではありません。數冊を、ぐるぐる囘し讀みします。浮氣者ですね(笑)。

 今囘も一氣に七冊讀み終はりました。
 今、樂しさうな本をたくさん注文してゐます。家にいると読書が一番の樂しみ(それしかすることがない)。あっ、スケジュール整理とクライアントへのコンサル計画の作成も始めてゐます。

 昨日注文したら、昨日きました。

工作員・西郷隆盛 謀略の幕末維新史
 今日は、「へたな横ヤリ」です。戦国時代です。でも、戦争ばかりしているのかというと、そうではありません。戦争をすると国力を消耗します。何よ りも国が滅亡するかもしれません。ですから、外交がとても盛んになります。説客(ぜいかく)は、そんな外交を引き受けた一匹狼です。舌先三寸で生きている のです。
 へたすれば殺されますから、説客も必死です。
 九十歳の親父が、たくさん手紙をくれます。自分の人生を遺し、そして、私と息子に引き繼ぐやうに。

 つづきです。
 體調はかなり囘復してはきていますが、やはり、あれだけの事故ですし、3週間程度入院もしました。手術もしました。いくら氣力があつても、やはり軆體は大切にしなければなりません。體力もまだ囘復してゐませんし、何と言ってももう二度と人に迷惑をかけることをしてはいけません。
 
 「整えて、深く探って、強く引き出す」と云ふ私が重視してゐるテーマを確かに實現してゐくためにも、まずは體調をきちんと整へます。これは、何も今だけではありません。完全囘復してからもずっとです。

 ゆっくりと確実に。そして力強く。あと二十年仕事をするために。

 さて、昨日紹介した私の夢の中に「事上磨錬 じじょうまれん」といふ言葉がありました。何人かの方から質問を受けましたので解説します。陽明學の言葉です。
 助けてくれた老人が、舟ごと川にしずんだところまででした。


仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子
 今囘は、安河内A君です。

 私たちは、他の体育會系の部と異業種對決をよくやりました。それぞれの専門種目以外で試合をする。たとへば、サッカー部と野球の試合をするとかです。一度も敗けたことはありません。

 今囘は、なんと、弓道部とサッカーをやつてゐますね(笑)。
 がんばれ、もやし!!!

 まつたく、パブリック流通といふのはとんでもない業態です。スーパーやドラッグ等のことです。彼らの仕事に文化がない。ただ、賣るために、わがままし放題。中小製造業で、パブリック流通へ品物を卸したら、まず、絶對と言ってよいほど、商賣にはなりません。ところが、賣上が欲しいため、中小零細企業はすぐにパブリック流通に手を出しがちです。

 中小零細企業のマーケティングの基本は接近戰です。たとへば、小倉にある卵屋さん。かつて、養鶏場をやつてゐました。皮肉な表現 物價の優等生 卵を卸してゐました。儲かるはずがありません。付加價値の髙い卵の販売、それを使つたお菓子・・・・。今では、駐車場を増設に次ぐ増設。消費者への接近戰です。それも全國の消費者との。

 たとへば、濱松の勘四郎さん。豆腐屋さんです。1萬圓の豆腐を賣つてゐます。今、豆腐製造業がスーパーなんかと付き合ったら大變です。目玉商品扱いされ、採算が合ひません。センターフィーをとられます。安い豆腐が出てきたら値段を合わせられます。品質を落とすことを認められないまま。

 もやしもさうです。
 昨日から、七十二候 小雪 次候 朔風払葉です。「きたかぜこのはをはらふ」と讀みます。

 
冷たい北風が、木々の葉を落とす頃です。朔風とは北風のことです。地面いつぱいに廣がる落ち葉と、葉を落とした木々は冬の景色の象徴であり、季節の移り變はりが感じられます。

 落ち葉か~。母の法事の時に、讀經が終はつた後に、和尚さんが、和歌を詠んでくれました。

掃けば散り 拂へばまたも 散り積もる 庭の落ち葉も 己が心も
 「身體髪膚受之父母。不敢毀傷孝之始也」「しんたいはっぷ、これを父母に受く。あへてきしょうせざるは孝の始めなり」。支那の古典 孝經の一節です。「おやからもらった身体である。どんな小さな部分でもそれを傷つけないのが親孝行のスタートであり最も大切なことである」といふ意味です。

 あかん。私は子供のころから、身体は傷だらけです(涙)。親不孝の權化です。今囘も、自分はしんどいはずなのに、わざわざ關西まで九十歳の親父が來てくれました。私はアホですね。

 久しぶりのシリーズなので、前囘分も載せておきます。

 
 髙校のとき、明治維新の年号を「いぱつやろうや(1868年)」と覺へました。

 と云ふことは、來年、2018年は、明治百五十年です。そして、平成三十年。陛下は、このことを意識されて譲位をお考へになられたのでせうか。
 昨夜、さんまの番組がありましたね。最初は、いち芸能人をヒーローに仕立て上げる番組?何を考へてゐるんだと思ひました。でも、觀てゐると面白い。
 今月は、ある事情で時間はふんだんにあつたのですが、本があまり讀めななったなあ。二十日あれば、最低三十冊は讀むのですが、8冊ぐらいしか讀めませんでした。
 小林製薬の商品開発つてすごいですね。ワクワクするような髙不價値商品がたくさんある。

 のどぬーるやアンメルヨコヨコや熱さまシートなんかは皆さんもご存知だと思ひます
 今回は弥永君です。

 バレンタインデーですね。このチョコはきっと女子マネからですね。言はなかったっけ?

 それと、1年生にかなり體力がついてきています。

 
 一昨日でしたっけ? FKさんに「何か面白い本はないですか?」と尋ねられたので、「イギリス憲政論 バジョット」を紹介しました。
イギリス憲政論(中公クラシックス)

 はつきり申し上げてこの本が2,000圓なのは安すぎます。
 夜中に、先ほど書いたやうなことを息子とやり取りをしてゐました。最後に、「父さん、エステル・ゴランタンといふ女優がいたよ。おやすみなさい」と。調べてみました。負うた子に教えられるとはこのことです。
 「人間は、自分だけのために力を盡すことはできない」。私の持論です。だから、間違った意味での「個性」「個性」と叫んでゐる今の學校教育を受けた人間は、力を盡すことをしない人間が多いのです。人のせいにばかりして。主語を他人にして。

 かくいふ私も。
 ブログのリハビリです。今年ほど、いろいろなことがあつた年はありません。私は來年還暦を迎へます。あと二十年は國家に貢献できる仕事をしていきます。そして、九十六歳までのんびりすごします。

 その二十年が問題です。天が、今のやり方ではダメだと私にNOを突き付けたのが今年です。無理なスケジュール、過信した仕事量、休みを取らない仕事の仕方。まるで、昔、かなりスポーツでならした人間が、年をとって、昔のイメージ通りスポーツをして怪我をするやうなものです。

 能力が衰へたのではありません。使い方を變へて、より能力が發揮できるようにすることが環境変化への對應です。パラダイムシフトです。それを思ひ知らされた一年でした。あと二十年をどう生きるか。それをじつくりと考へることができました。年内にその考へ方と行動を整へます。

 さて、今は、七十二候 小雪 初候 虹蔵不見です。「にじかくれてみえず」と讀みます。
 TVでサンクスギビングデイの報道をしてゐました。確か十一月第四木曜日でしたよね?

 感謝祭は、1621年、イギリスからアメリカに移住したピルグリムたちが、アメリカではじめての収穫を神に感謝し、冬を越す智慧を授けてくれたネイティブアメリカンを招待して祝宴を催したことに由來してゐます。

 笑はせますが、もうすこしみてみませう。


 今の我が國には、祭日がありません。占領軍がすめらぎ(皇)と臣民を切り離したいために、祭日をくだらない祝日に仕立て上げました。祭日とは、皇と臣民が一緒に弥栄(いやさか)を祝ふ日でした。

 繰り返し述べます。皇は「すめらぎ」と「すめらみこと」の両方讀むことができます。すらみことといふと今上天皇陛下です。すめらぎといふと、皇祖皇宗いや、もつと、いつたいいつから續いてゐるかわからない天子樣の氣の遠くなるやうな悠久の流れのことを指します。だから、私たちは、「天皇誕生日」を祝ってゐるのではないのです。

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