虹蔵不見(皇紀弐千六百七十七年十一月二十四日 弐)

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 ブログのリハビリです。今年ほど、いろいろなことがあつた年はありません。私は來年還暦を迎へます。あと二十年は國家に貢献できる仕事をしていきます。そして、九十六歳までのんびりすごします。

 その二十年が問題です。天が、今のやり方ではダメだと私にNOを突き付けたのが今年です。無理なスケジュール、過信した仕事量、休みを取らない仕事の仕方。まるで、昔、かなりスポーツでならした人間が、年をとって、昔のイメージ通りスポーツをして怪我をするやうなものです。

 能力が衰へたのではありません。使い方を變へて、より能力が發揮できるようにすることが環境変化への對應です。パラダイムシフトです。それを思ひ知らされた一年でした。あと二十年をどう生きるか。それをじつくりと考へることができました。年内にその考へ方と行動を整へます。

 さて、今は、七十二候 小雪 初候 虹蔵不見です。「にじかくれてみえず」と讀みます。
 昔の人の語彙力はすごいですね。

 曇り空が多くなる頃です。陽射しが弱まり、虹を見ることが少なくなります。見ることができても、夏の空のようなくっきりとした虹ではなく、ぼんやりとすぐに消えてしまひます。

 虹を初めて觀たのはいつだつただらう。いつ、どこでは忘れましたが、ある時、虹が出てゐました。母と一緒に歩いてゐた私は、母に「お母さん、あれはなあに?」と聞きました。なぜかこのシーンははつきりと覺へてゐます。

 母は「あれは虹といふのよ」と優しく教へてくれました。

 「きれいだなあ」と思ひました。「虹は渡れるんだらうか?」「虹を端から端まで渡つたら、どこにいくのだらうか?」「なんであんなにたくさんの色があるんだらう?」とか、いろいろ考へたことも。

 素直だつたんですね。

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このページは、宝徳 健が2017年11月24日 07:14に書いたブログ記事です。

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