朔風払葉(皇紀弐千六百七十七年十一月二十八日)

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 昨日から、七十二候 小雪 次候 朔風払葉です。「きたかぜこのはをはらふ」と讀みます。

 
冷たい北風が、木々の葉を落とす頃です。朔風とは北風のことです。地面いつぱいに廣がる落ち葉と、葉を落とした木々は冬の景色の象徴であり、季節の移り變はりが感じられます。

 落ち葉か~。母の法事の時に、讀經が終はつた後に、和尚さんが、和歌を詠んでくれました。

掃けば散り 拂へばまたも 散り積もる 庭の落ち葉も 己が心も
 庭の落ち葉といふものは、掃いても掃いてもまた散り積もるものだ。人の心も、修行してきれいになったと思つたら、また、すぐに、垢が積もつてくる。落ち葉のようなものだ。

 良い歌ですね~。まさに私の歌です。

 私のこれからの人生の目標は、誰かをどうするとか、世の中をどう變へるかではなく、自分自身を日本人としてどう確立させるか。その結果、「ああ、あんな生き方いいなあ」と思つてもらえればいい。まさに、日本人の生き方であり、そして、出光佐三店主が志向した生き方。

 宇佐美の親父も、生きることにきばってゐませんでした。きちんといつも同じ自分を維持してゐました。いつも同じやうに人を愛してゐました。いつも同じやうに身の丈に應じた生き方をしてゐたのに、その身の丈が自然と大きくなつてゐました。いつもできることしか約束しませんでした。毎日ルーティンをやりつづけることが本当に普通でした。いつも「次」でした。「親父さん、今まで作った數百のSSでどれが一番好きですか?」「次創るスタンドだ」。

 ああ、わかつてきたな~。でも、「わかる」と「できる」には大きな差があります。

 さてさて。やりますか。あと二十年。

 確認。
<3つの夢>
一、世の中の濁流のなかで事上磨錬・愼獨を通じて自分を淨化し本來の人間の姿を創る
 -人に學び、生き方を學び、そして生き方を創る-

二、この生き方を通して、クライアントの事業の持續と永續に貢献していく

三、すべての人を愛せる人間になる

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このページは、宝徳 健が2017年11月28日 04:06に書いたブログ記事です。

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