命の手紙 62(皇紀弐千六百七十七年十一月二十九日 弐)

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 九十歳の親父が、たくさん手紙をくれます。自分の人生を遺し、そして、私と息子に引き繼ぐやうに。

 つづきです。
 避難民の習性で、下船するとすぐ薪なるものを探す。炊飯の支度(と言っても食べるものはない)をするのだと答えたら、米兵が笑った。「食べるものはいくらでもある」。

 携帯口糧(けいたいこうりょう)が支給された。箱を開けると、食べ物がぎっしり詰まっていて一人分だという。煙草まで入っていた。

 食べる心配はなくなったが、釜山まで歩き釜山からは米軍のLST(上陸用舟艇)に乗せられて博多港に上陸した。北朝鮮興南府(こうなんふ)の西湖津(せいこしん)港をソ連軍の銃撃に会いながら脱出してから1か月っかっていた。今なら2~3時間あれば着く。つづく

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このページは、宝徳 健が2017年11月29日 05:35に書いたブログ記事です。

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