橘始黄(皇紀弐千六百七十七年十二月三日)

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 まだ、二日ですがお許しを。少し、多めに寝たいので、ブログを書いたらそうします。

 今日から、七十二候 小雪 末候 橘始黄です。「たちばなはじめてきばむ」と讀みます。

 橘の實が黄色くなつていく頃です。橘とは柑橘のことで、古くから日本に自生してゐました。常緑植物であることから「永遠」を意味するとされ、不老不死の實だといわれていたようです。


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 橘は、萬葉集では、70首も詠まれてゐるさうです。その中のひとつです。

橘は 實さへ 花さへ その葉さへ 枝にし霜触れとど いや常葉の木 聖武天皇

 葛城王が臣籍降下したときに橘姓を賜りました。源平藤橘の一つですね。橘家がいつまでも榮えることを願つて聖武天皇が詠まれた御製です。常緑樹の橘が青々と繁る樣子を歌に込めたものです。

 天皇は橘諸兄を重用することで藤原家を牽制しました。橘諸兄は、左大臣と云ふ最高の位まで上り詰めました。しかし、盛り返してきた藤原氏との確執で失意のうちに没してしまひました。橘諸兄と親しかった大伴家持も因幡に左遷されました。

 人間社會の奇跡を作り上げた我が國ですが、作り上げていく過程では悲しいこともたくさんあるのですね。



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このページは、宝徳 健が2017年12月 2日 23:37に書いたブログ記事です。

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