食事は、もう、お粥以外は、普通食を食べてゐます。でも、手術からしばらくは「流動食」。退院を控えてからは「三分菜食」「五分菜食」といふ「やわらか食」でした。「あ~あ、歯がきちんと入るまではこんな、やわらか食を食べないとだめなのかなあ」と思つてゐましたが、普通食も大丈夫になりました。
その過程で、やわらか食にも、本當にいろいろな種類があることを知りました。やはりどんな状態でも、人には「食べる樂しみ」が必要なんですね。
閑話休題。私が、最も苦手としてゐることは、「片付け」と「掃除」でした。いろいろな指導書などで、「掃除が基本」なんてありますが・・・・・。
その原因がわかりました(笑)。
すると、周りの大切な小さなことが見えなくなるんですね。だから、片付けや掃除は後囘しになります。
ゆっくり動くと、氣がせかないので、片付けや掃除が苦にならなくなりましたし、ルーティンに入れてもきちんとやるやうになつてゐます。
これ、なんだかわかります??? 「中今」なんです。「今、ここ」なんです。そう、マインドフルネスなんです。
マインドフルネス、つまり、自分の変革の第一歩を、どちらかと云ふと、「心理學」とか「義務的」に考へてゐたのですが、ゆっくり動いて、周りを整へると、「感謝でき」「なんだかうれしくなって」くるのです。
氣張らなくなる自分。私は今、今後20年の仕事と今後30年の人生について整理し、目的と目標を構築しようとしています。
マインドフルネスが必要条件であることは間違ひありません。でも、マインドフルネスを義務ととらへると、それは十分条件にはなってくれないんだといふことに氣づきました。マインドフルネスの最大のポイントは「自分を追い詰めないこと」。
また、「わかる」と「できる」に移行するしんどさを知りましたが、今までと少し違ふみたい。
ケ・セラ・セラですね。子供の頃、この歌を聞いた時、なんて素敵な歌なんだと思つたことを思い出しました。學生の頃、英語の勉強をしていた時にも、この歌はずいぶん歌いました。英語でも、日本語でも。
Whatever Will Be, Will Be (Que Sera, Sera)」
When I was just a little girl
I asked my mother what will I be
Will I be pretty, will I be rich
Here's what she said to meQue sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will beWhen I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
Will we have rainbows day after day
Here's what my sweetheart saidQue sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will beNow I have children of my own
They asked their mother, what will I be
Will I be handdsome, will I be rich
I tell them tenderlyQue sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will beQue sera, sera
私の小さい時ママに聞きました
美しい娘になれるでしょうか
ケ・セラ・セラ なるようになるわ 先のことなど 判らない 判らない
大人になってから あの人に聞きました
毎日がしあわせに なれるでしょうか
ケ・セラ・セラ なるようになるさ 先のことなど 判らない 判らない
子供が出来たら そのベビーが 聞きます
美しい娘になれるでしょうか
ケ・セラ・セラ なるようになるわ 先のことなど 判らない 判らない
ケ・セラ・セラ
人生は面白いな~。いくつになっても。何があっても。って、考へないとね。でないと、自分だけが氣張っていたら、人に迷惑がかかってしまふ。
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