どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再69(皇紀弐千六百七十七年十二月七日 四)

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 小文吾が、猪に倒された男を救ったところまででした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子
 目を覚ましたその男が言うには「猪を退治しようとして反対にやられました。その猪は、村に甚大な被害を与えていたので、村長から報奨金が出ていたのです。でも、このありさまでした。あなた様がこの猪を退治してくれたので、私は命を救われただけでなく、村長に届ければ報奨金はもらえるし、この猪の肉を売ればまた金になります。ありがとうございます。この浅草から千束までの村々は、敵のスパイを警戒して、他国の人を宿泊することを禁じられていますが、せめてもの恩返しに、今夜は是非、我が家にお泊まりくだされ」

 小文吾はありがたくその申し出を受け入れました。

 その男が言いました。

「幾晩でも泊まって下され。一緒に家までお供したいところですが、猪をこのままにしておいたら、狼や犬に食われるかもしれません。私はこの獲物を村長のところに引きずっていき、ついでにあなたを泊める許可をもらってまいります。私の家は、この先、阿佐ヶ谷の村はずれ、大きな榎木のそばの一軒やです。船虫(ふなむし)という女房が一人留守番をしています。これを見せれば家に入れてくれますから、先に行ってくだされ」

と腰にぶらさげた袋を渡しました。

 さて、何か、あやしげな展開になってきました。つづく。

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このページは、宝徳 健が2017年12月 7日 00:18に書いたブログ記事です。

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