命の手紙65(皇紀弐千六百七十七年十二月十日 弐)

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 九十歳になる父がよく送ってくる手紙を紹介してゐます。まるで何かを遺したいやうに。さういへば、最近、こないなあ。

昭和39年(1964年)
☆10月10日-東京オリンピック


 PCえ日本選手団の入場行進を見てわけもなく涙が流れた。サッサッサッと歩く姿に日本人の規律と秩序が現れている。

 37歳、わが家にはまだテレビがなくこの入場行進は街角のテレビで見た(公園や広場にはテレビが置いてあった)。

 会社の家族寮にいたが、やっと当たった大阪府の府営住宅は、京阪電鉄沿線の枚方市牧野。二つ向こうが京都府楠葉駅。大阪のはずれだった。

 テレビや冷蔵庫もここにいるときに買った。「あの家はテレビを、冷蔵庫を買った」と、ご近所でささやき合うような時代だった。

 母、佳男、汎子、一美、健、幸と末弟 治の大家族だった。

 府営住宅には風呂がなかった。銭湯に行き、帰りに「たこ焼き」を買う。幸はここで生まれた。 つづく


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このページは、宝徳 健が2017年12月 9日 23:28に書いたブログ記事です。

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