九十歳になる父がよく送ってくる手紙を紹介してゐます。まるで何かを遺したいやうに。さういへば、最近、こないなあ。
昭和39年(1964年)
☆10月10日-東京オリンピック
PCえ日本選手団の入場行進を見てわけもなく涙が流れた。サッサッサッと歩く姿に日本人の規律と秩序が現れている。
37歳、わが家にはまだテレビがなくこの入場行進は街角のテレビで見た(公園や広場にはテレビが置いてあった)。
会社の家族寮にいたが、やっと当たった大阪府の府営住宅は、京阪電鉄沿線の枚方市牧野。二つ向こうが京都府楠葉駅。大阪のはずれだった。
テレビや冷蔵庫もここにいるときに買った。「あの家はテレビを、冷蔵庫を買った」と、ご近所でささやき合うような時代だった。
母、佳男、汎子、一美、健、幸と末弟 治の大家族だった。
府営住宅には風呂がなかった。銭湯に行き、帰りに「たこ焼き」を買う。幸はここで生まれた。 つづく
☆10月10日-東京オリンピック
PCえ日本選手団の入場行進を見てわけもなく涙が流れた。サッサッサッと歩く姿に日本人の規律と秩序が現れている。
37歳、わが家にはまだテレビがなくこの入場行進は街角のテレビで見た(公園や広場にはテレビが置いてあった)。
会社の家族寮にいたが、やっと当たった大阪府の府営住宅は、京阪電鉄沿線の枚方市牧野。二つ向こうが京都府楠葉駅。大阪のはずれだった。
テレビや冷蔵庫もここにいるときに買った。「あの家はテレビを、冷蔵庫を買った」と、ご近所でささやき合うような時代だった。
母、佳男、汎子、一美、健、幸と末弟 治の大家族だった。
府営住宅には風呂がなかった。銭湯に行き、帰りに「たこ焼き」を買う。幸はここで生まれた。 つづく
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