天長節(皇紀弐千六百七十七年十二月二十四日 弐)

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 昨日は、ブログを書かずにすみません。昨日は、天長節でした。天皇陛下 天長節をお迎へになられたことを心からお祝ひ申し上げます。

 天皇誕生日と天長節では意味がまつたく違ひます。
メディアが「天皇誕生日」と書いてゐるのを見ると腹が立ちます。陛下はご自分の誕生日が嬉しいなどとは思つていらっしゃいません。それに、これを知らないと、我が國の歴史を否定することになります。本來の意味の憲法を否定する事になります。
 人間社會で、もつとも素晴らしい統治形態は、すばらしい人間による獨裁統治(ウシハクではないシラスの)です。しかし、そんな人間を(我が國以外では)みつけることは至難の業ですし、他國では、やつてはいけないことです。だから、妥協の策として、民主主義がとられてゐます。ならば、主權者と呼ばれる國民は、もつと賢くならなければなりません。歴史をび、(小學校から英語などと云ふ國家破壊のことをやるのではなく)國語を學び、(スマフォばかりいじくらないで)書を讀み、大いなる議論をしていき、自分を磨く必要があります。

 嘘ばかりついてゐるメディアを正せる人間になる必要があります。くだらない危險な政治家を選ばないやうにしなければなりません。

 この場で何度も述べてまいりました。 天皇誕生日と云ふと、今上天皇陛下の誕生日を祝ふことになります。その際の祝ふ対象は、皇(すめらみこと)です。天長節で祝ふのは、皇(すめらぎ)です。永い永い、皇祖皇宗依頼のすめらぎの歴史が、また一つ「節」を迎へたことを祝ふのが天長節です。

 人間社會の奇跡!!! シラスと云ふ國體。これをしらなければどんなことをやつても無駄になります。「節」と「日」では全く別の意味になります。そして、これを實現してゐるのは人間社會で、我が國だけなのです。

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このページは、宝徳 健が2017年12月24日 06:44に書いたブログ記事です。

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