命の手紙 70(皇紀弐千六百七十七年十二月二十七日 六)

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 九十歳の親父から送られてくる手紙です。つづきです。よく、小學校の担任の先生の名前を九十歳になつても覺へてゐますね。(笑)。
 昔は、小学校教員、中学校教員はそれぞれ資格があり、中学校教員になるには検定試験に合格するか、高等学校(今の大学)を卒業しなければならなかった。

 1~2年生の子供だったボクが見ても、泉先生はボクたちに教えるよりも自分の勉強をして居ることがハッキリわかるほど勉強していた。
 その甲斐あって、泉先生は視学官試験に合格した。

【広辞苑】
視学官:明治18年文部省に置かれ、学事の視察・統制・監督を任務とした行政官。現制度で、文部科学省にあり、教育行政の連絡や指導・助言を行う職務

つづく

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このページは、宝徳 健が2017年12月26日 22:58に書いたブログ記事です。

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