命の手紙 72(皇紀弐千六百七十八年元旦 四)

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 元旦の「旦」は、お日様が地平線に姿をあらはした象形文字です。もう少し、日が昇り「木」の間にくると、「木」と「日」が合わさって「東」になります。そして、日がもう少し上に。すると「杲:あきら」になり、いろいろなものが明らかになります。日が草原に沈んでいくと、「日」と「草」が合わさって「暮」となります。象形文字は面白いですね。音しかあらはさないアルファベットの表音文字とは違ひます。「字源」があります。表音文字で育った人間は感情的になると言はれてゐます。歐米がそうです。支那も朝鮮も自ら承継文字(表意文字)を捨て去つてもつたいないですね。

 さて、九十歳の父が、遺さうとしてゐることを手紙に綴ってくれます。髙等小學校時代の担任の先生の紹介です。

 そうだ、HPブログの方に、「捨てられる銀行」を參孝に失はれたバンカーの記事を書いてゐます。


 5~6年生は奥津先生。話しぶりから内地の小田原の人だとすぐにわかった。陸軍少尉。昭和13年、満州国とソ連の国境紛争(張鼓峰事件 ちょうこほう)の時は、咸興にあった歩兵第七十四聯隊の一員として歓呼の声に送られて出征(戦地に行くこと)した。

 転校して困ったのは、元山小学校ではソロバンの授業がなく「商業」というような帳面付けを習っていた。

 困った。咸興小学校5年ではイチからソロバンを教えてくれない。おかげさまで、ぼくは生涯ソロバンをてにしたことがない。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年1月 1日 04:32に書いたブログ記事です。

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