命の手紙 73(皇紀弐千六百七十八年一月三日 參)

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 妹から聞きました。今囘の事故の時、親父が一番心配したさうです。佛壇を掃除して懸命に禱つてくれたさうです。母にお願いしてゐたのでせう。最大の親不孝です。逆縁の不孝にならなくてよかつた。

 繰り返し紹介してゐますが、支那の古典 孝經に「身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母(ふぼ)に受くあえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」があります。親からもらった軆體に傷をつけないことが一番の親孝行だ、です。

 子供のころから傷だらけ。親不孝以外のなにものでもありません。

 今年九十一歳になるその父が送つてくれる手紙をこのブログに遺してゐます。今日から親父の小さい頃の話です。
  今日は「統率」についてのお話をするので話題をつなぐ。

 ボクは体が弱く、チビ。無口で消極的な子供だったが、中学生になると背丈は伸びるし丈夫になった。

 自分から"指揮者不適格"と思うことも多かったが、なぜかわからないが、リーダーに選ばれていた。

 そんなに上手ではないのに、朝礼台の上に立って全校生徒のラジオ体操をリードしていた。

 軍事教練があると隊長だった。皆が鉄砲を担いでいるのにボクはサーベル(指揮刀)を腰につった。同級生だった秋武舜一が「お前、かっこよかったなあ」と言っていた。

 もうこの頃は、体力賞検定の上級がもらえるのどの体力がついた。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年1月 2日 20:07に書いたブログ記事です。

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