戰國策 再59(皇紀弐千六百七十八年一月六日 五)

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 斉の国シリーズの最後です。テーマは「本末顚倒(ほんまつてんとう)」です。

 斉王・建とは、斉最後の王です。秦の始皇帝によって斉を攻め落とされました。秦は斉を最後に諸国併呑を完成させます。
 威后とは、建の姉か叔母ですかね? 
 斉王・建は趙の威后のもとに使者をやってご機嫌をうかがわせました。威后は手紙を開きもせずに、使者に問いました。

威后「今年の作柄はどうなの? 民の暮らし向きは? 王には変わりはない?」

使者(不満そうな顔をして)「王の使いとしてまいりましたのに、王のことは二の次、まず作柄や民の暮らし向きをおたずねになる。王を後回しにされるのは、順序が間違っていませんか」
威后「いいえ。作柄がよければ、民は生きられません。そうなれば、王も生きられません。根本を問わないで末節をたずねるほうがまちがっています」

威后は言葉を続けます。
「斉に鐘離子(しょうりし)という浪人者がいたはずですが、元気ですか? あの男はふだんから、人々が着る物や食べる物に困らないように気を使っています。これこそ王を助けて民を養う人物です。どうせ浪人などさせておくのかしら?
 それから葉陽(しょうよう)は変わりありませんか? あの男はやもめを憐れみ、孤児や身寄りのない老人をいつくしみ、貧乏人に衣食を補助しています。これこそ王を助けて民を治める人物。どうして浪人などさせておくのかしら。
 また北宮(ほくぐう)の嬰児子(えいじし)という女(こ)はどうしていますか? あの女は、耳飾もつけず、お嫁にも行かず、父母を養っています。これこそ民に孝行を教える手本です。どうして朝廷に入れてやらないの?
 このような人をほったらかしにしておいて、どうして国を治めることができましょう。
 それから於陵(おりょう)の子仲(しちゅう)は生きていますか? あの男は臣下の礼をつくしません。自分の家の世話もみません。諸侯とも交わりません。あんな男がいては、民が役立たずになるばかり。どうしていつまでも生かしておくの」

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このページは、宝徳 健が2018年1月 5日 20:55に書いたブログ記事です。

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