命の手紙 75(皇紀弐千六百七十八年一月十九日 弐)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 久しぶりの父の手紙です。つづきです。前回は一月四日でしたからずいぶんあきました。
  二十歳代のときは、駅伝競走の選手だった。いまのように監督がいてコーチがいてという贅沢なチームではなく、ユニホームは作業服で、主将がいるだけ。

 連戦連敗。どうしても勝てない。ある年、「主将を変えたらどうだろうか」の意見が出て、満洲kらの引揚者で、ボクとは仲がよかった2年先輩に替わってボクが指名された(皆さんの意見)。

 不思議なことが起こった。宝徳主将になって、練習量が足りないなどと言ったことがないのに2連覇。

 これには隠し玉がある。厚生課に行き、あの当時は珍しかったビタミン剤をせしめてきて皆さんに配ったり、タオルを配ったりした。ビタミン剤を飲んでも早く走れるわけはないが、精神面でのサポート。翌年からは交通事情で駅伝は中止となった。 つづく

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7411

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年1月18日 19:46に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「おみくじ研究(皇紀弐千六百七十八年一月十九日)」です。

次のブログ記事は「風・喘・氣・息(皇紀弐千六百七十八年一月十九日 參)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。