水澤腹堅(皇紀弐千六百七十七年一月二十五日 弐)

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 一月二十五日から 七十二候(しちじゅうにこう) 次候 水澤腹堅です。「さわみずこおりつめる」と讀みます。七十二候も七十一番目です。節分に近づいてきます。

 澤の水が氷となり、厚く張り詰める頃です。この時期に、一年での最低氣温の記録がでることが多く、氷點下となる地域も出ます。まさに、今週の氣候ですね。

憂き世ぞと なげて云へども 治めえぬ 我が身ひとつに 猶(なほ)嘆くかな
 足利義政の歌です。義政は萬葉集をこよなく愛してゐまた。延德弐年(1490年)壱月七日(新暦では一月二十七日)に義政は亡くなりました。寒い寒い 大寒 水澤腹堅 に亡くなつたのですね。悲しい思ひとともに。

 慈照寺銀閣を作った將軍です。

 よく金閣寺、銀閣寺と云ひます。觀光ではそれでも良いでせう。正確には「鹿苑寺 金閣」「慈照寺 銀閣」です。金閣と銀閣は寺ではありません。建物の名前です。

 義政は、文化を非常に愛した將軍でしたが、戰覧の世を招いてしまひました。その時の歌です。和歌はすごいですね。1490年と云ふと五百二十八年前です。その時の情景が今の私の頭にもきちんとイメージされるのですから。この和歌を、天子樣から庶民まで平氣で詠んでゐた我が國。それを捨ててしまひ和歌を詠めないのではなく詠まない國民になつてしまつた現代。もつたいないですね~。どんなに外國にぐちゃぐちゃにされても、和歌さへ遺れば、歴史は引き繼げるのに。今度銀閣を觀ながら、この歌をよみます。

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このページは、宝徳 健が2018年1月24日 20:21に書いたブログ記事です。

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