いつもいつも、自分をかういふ言葉で叩かないと自分を律せない自分がいます。時々、この言葉を觀て、自分診て、今後を視る。いつになつたら普通にしてゐても大丈夫な人間になるのだらうか?
この表現の潜龍とはなんですか?とよく聞かれます。このブログは檢索ができるので「易経」と檢索すればもつと詳しく出てきますが、少し説明しておきますね。竹村先生のHPを參考にします。
五經の一つが「易經(えききょう)」です。易經は、四書五經の筆頭です。私も一番好きです(ただし、私は、易經の超がつくど素人ですが)。俗にいふ「易」といふ占いのやうな輕いものではないことだけはご理解ください。
『易経』はリーダーとは時を司り、導く者だと教えてゐます。古代から一國を担うリーダーには時の本流を見極める洞察力と將來の兆しを察する直觀力が不可欠とされてきました。
乾為天の龍
帝王學として學ばれた代表的なものが『易經』の始めにある龍の話です(話は64個あります)。龍は天を翔け、雲を呼び地上に慈雨をもたらす想像上の生き物です。そのような力から、龍は古代から君子(リーダー)に喩えられます。
龍の成長は
潜龍
↓
見龍
↓
君子終日乾乾
↓
躍龍
↓
飛龍
↓
亢龍
の六段階の変遷をたどります。
潜龍から躍龍までは飛龍になるための成長過程。そして飛龍はリーダーを示し、飛龍がおごり高ぶると亢龍(降り龍)になるという変遷過程です。
この龍の話にはリーダーの条件が時の変遷とともに記されてゐます。リーダーに成長するためには、何を養い、努力すればいいのか。その要件を論理的に把握できます。
まずは志ありき
そしてその第一段階目に始まるのが潜龍です。潜龍とは地の奥深くに潜み隠れている龍をいひます。まだ実力もなく、世の中に認めれられない時です。
「潜龍用ふるなかれ」
とあり、この時は焦って世に出てはいけません。なぜならば力を蓄え、將来の大きな展望を描き、高い志を打ち立てる時だからです。
「確乎としてそれ抜くべからざるは潜龍なり」(確乎不抜の志)
どんな立場になろうと、決して抜き動かさない高い志を持つこと。これがリーダーの第一条件だと教へます。
そして、どんなに飛龍になろうともこの潜龍の氣持ちを忘れるな、おごり高ぶるな。れが
我、未だ潜龍なり
です。
孟子も教へます。
「確乎不抜の志を持て。志があれば、自分を保つことができる。志は、自分の心の帥(すい)である」
ああああああああ、くそおおおおおおお。まだできない。あと三十年の目標はきつとこれですね。他者評価としての確乎不抜の志。岐阜に潜龍と云ふ料亭があります。うまいんだなあ。牡丹鍋しか食べる財力がないけど(笑)。宵の名前ですね。
ここでステーキが食べたい(笑)。
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