命の手紙 76(皇紀弐千六百七十八年一月二十六日 弐)

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 ひとつ前の記事から明日のブログルーティンです。

 今年九十一歳になる父が、何かを遺したくて頻繁に手紙を送つてきます。ただ手紙を讀むだけだと内容を忘れてしまふので、ブログに書きます。いつでも讀めるし。

 つづきです。
 朝鮮の学校にいたので同窓会がない。誰がどこにいるのかもわからなかったが小学校二つと中学校の同窓会を立ち上げた。

 北朝鮮から脱出してきて日本のどこに住んでいるか、誰がどこにいるかがわからないから大変だった。あの当時の市町村役場は親切で、転居した人の追跡調査までしてくれた。

 50歳のとき1年間、柏市にある麗澤大学の中国語講座に通った。講座が終わり希望者だけがもう1年間教えてもらおうとなり、大学側との折衝役は宝徳に決まり、自然の流れで会長。

 柏中文(かしわちゅうぶん)の会と名付けたこの会は、三潴(みずま)助教授の私的な講座で、会費5千円/月/人。毎土曜日に10人が集まった。

※中国語を中文(ちゅんうぇん)または中国語(ちゅんごーふぁー)という。

 1年後の卒業式では中国語の劇を演じた。セリフを覚えきれないので書いた紙を見ながらの劇だった。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年1月25日 20:13に書いたブログ記事です。

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