山で夜明かしをする現八に妖しい火が近づいてくるところまででした(20100415)。
仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼
智
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
今年九十一歳になる父が頻繁に送ってくれる手紙を遺してゐます。今日でひとつの手紙が完結します。ひとつひとつがとても長い。次囘から新しい手紙です。けふは何かなあ~?
二十八日から七十二候 雨水 末候「草木萌動」です。「そうもくめばえいづる」と讀みます。
足元や庭木の先にほんのりと薄緑に色づく芽が觀られる頃です。街を歩いてゐても少しずつ木の芽が觀じられたり、春の花が目を樂しませてくれますね。
つくづく思ふ。自分は創造型ではなく工夫型の人間だなあと。0から1を創り出すのではなく、今あるものをつまり1を2とか3にするタイプです。決めつけはいけませんね(笑)。パラダイムですね。
工夫型の人間なので、常にインプットが必要です。インプットなきところにアウトプットなし。そういう意味では、いろいろな會社の情報に触れるのはいいなあ。
今日から趙の話です。話に入る前に、ちょっと、趙についての基礎知識をまとめます(20091129)。
この時間が好きです。自分を見直すことが出來る。
本棚を見つめながら、以前、讀んだ本が私に語り掛けます。「もう、私のことを忘れたの?(何故か女性)」。手に取る。「わあ、うれしい」。 これ人に云ふと馬鹿にされるのですが、本當なんですよ。本屋に行っても、「私を賈つて」と語りかける本ばかりです。最近は、家で夜仕事をすることが多いのですが、事務所に行ったら大變です。「讀め讀め」の本の大合唱が沸き起こります。いいな~。この時間。
今、手に取ってゐる本に支那の古代の話が。支那の古典も昔、むさぼるやうに讀みました。
今囘は岡村君。合宿入りです。
昭和五十二年です。四月下旬に 全國総合體育大會福岡縣中部地區予選。六月初旬に全國総合體育大會福岡縣大會です。これを勝ち抜くとインターハイ。最後の調整合宿です。
岡村君、面白いですね。合宿のスケジュールを予測してゐます。練習は學校一嚴しかったのですが、のびのびしてゐるでせう(笑)?
森菓子とはこのブログでも繰り返し紹介してゐますが、福岡髙校體育會の心のふるさとです。部活歸りにパンやカップ麺を食べます。やさしいおばちゃんがお茶とかを出してくれた店です。
合宿の食事は、學食のおばちゃんに頼んでおくとやつてくれました。春休みなのに・・・・。たくさんの方々に支へられてゐたのですね。
茶店の親父の言うことを制し、弓矢を買い求め、山の中に入っていった現八でした(20100411)。
仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼
智
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
さて、楚の国の話が続いています。楚の国は南の揚子江の方にあるので、黄河文明が主流だった中国では、最初、周王朝から国として認められていませんでした。でも、力をつけて国として認められたのです。さて、楚には戦国四君の一人と言われる「春申君(しゅんしんくん)」という人がいました(20091128)。
(戦国四君)
魏の信陵君(しんりょうくん)
趙の平原君(へいげんくん)
楚の春申君(しゅんしんくん)
斉の孟嘗君(もうしょうくん)
です。戦国策の本文に入る前に、今回は、楚の春申君についての予備知識を書きます。
春申君は、楚の考烈王に仕え、二十五年間宰相の地位にありました。でも、考烈王が没した後、王妃の兄、李園の手にかかって刺殺されてしまいます。王妃の兄? でも、この李園は、かつて春申君の家来だったのです。なのになぜ・・・?
労働組合で労働三法を必死に學んだ父です。つづきです。
オリンピックが面白いですね。アスリートはみんな美しい。感動の連續です。二つだけを除いて。①日の丸の赤いところに字を書くな!!! もう、最近は、怒りを通り越して悲しくなつてきます。②正しい日本語を使ってくれ!!! 「ら」抜き言葉、語尾上げ言葉を使はないてくれ。 いつから日本人は美しいものを汚したり壊したりする民族になつたのだらうか??? しつこい ですつて? どつちが?間違つてゐることを續けてゐるはうがよほどしつこい。
事故&手術後 かみさんが 健康雑誌をみろと。まあ、これは前からですが。私自身も今後、どのやうに生きていくかの中に「健康」とは大切な要素なので讀むやうになりました。
茶店の親父の話が続きます(20100410)。
仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼
智
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
この記事から明日のルーティンです。
支那の兵法の得意技に「離間の計 りかんのけい」があります。謀略やスパイや金を使って君臣や民意を分斷してしまふやり方です。
有名なのが漢の陳平の離間の計です。
秦滅亡後、項羽と劉邦は天下の覇権を爭ひました。最後は劉邦が勝利をおさめ漢の高祖となります。闘いとしては、大元帥 韓信 、智謀神のごとくの 張良などの活躍で勝利をおさめますが、間接的には陳平の離間の計が効力を發揮してゐます。
項羽には「范増 はんぞう」といふ、とてつもなく優秀な参謀がゐました。范増が生きて入れば、おそらく項羽と劉邦の決着はまだ先に延び漢の天下はどうなつていたかわかりません。
それが、項羽が漢の陳平の離間の計(項羽と范増を引き離す作戰)にひっかかり范増を遠ざけたことが漢の天下統一を早めます。亞父(あふ 父親と同じ)といふ彌號を項羽は范増に與へてゐたのに。
陳平はまず楚(項羽の勢力)にスパイを放ち楚の將軍たちが反亂を企てて居るとデマを飛ばしました。そのとき、ちやうど項羽は、漢に軍使を送ってゐました。漢はこれを盛大にもてなしましたが、頃合ひをみて劉邦が顔を出しました。「おや、范増殿のご使者かと思ったが、項羽殿の使者であったか」と云ひます。そして、「項羽殿の使者ならこちらの部屋にどうぞ」と、急激に待遇を落とし粗末なもてなしをします。
この使者は歸つて項羽にこのことを報告します。疑ひ深い項羽は、「范増め、漢と内通しておるな」と誤解します。結果的に范増は楚の陣營を離れ旅の途中に命を落とします。
孫氏の兵法にもあります。「兵は詭道なり(戰爭は騙し合ひである)」。戰闘を伴ふ戰爭は、金も物資も兵力も失ひ得なことはあまりありません。
我が國でも、枝野とか福島とかたいしたことはありませんが、どこかの國の下請けで我が國に離間の計をしかけてゐる可能性大です。それに何も考へてゐない岡田とか野田とかが乘つてしまつてゐます。メディアに騙される大衆も。
さあ、今囘の ひらまさオリンピック(笑)。傑作ですね。
今日のテーマは「三段構えの保身術」です。戦国の世を生きる人たちのたくましさはおもしろいですね(20091127)。
石破茂が 安倍さんにつづいて首相候補NO.2なのだとか。どこかのマスゴミの記事に載つてゐました。彼を支持してゐる人間は一體なにを考えてゐるのでせう。
故 渡部昇一先生が、月間WILLで書いたことがあります。
このブログから明日のルーティンです。父から久しぶりに手紙が来ました。安心します。
では、前囘のつづきです。
茶店の親父が「信」の玉を持つ犬飼現八にある話をしはじめました(20100409)。
仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼
智
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
カウンセリングには三段階がありました。
①リレーションをつくる
②問題の核心をつかむ
③適切な処置をする
でした。そして、リレーションをつくるためには、「受容」と「支持」が不可欠でした。今回は、支持の最終回です。前回書いた、二人いるはずなのに一人になるということを勉強しましょう。経営者・リーダーの方々は、社員との面談等の際の参考にしてください。
浅川くんが續いて書いてゐます。毎日少年少女の大會です。浅川君はなぜかこの期間ずつと書いてゐます(笑)。今日は二日分。
弐月九日から、七十二候 立春 次候 「黄鶯睍睆」です。「うぐいすなく」と讀みます。
鶯が美しい聲で鳴き、春の到來を告げる頃です。その年のうち版初めに聞く鶯の聲を「初音 はつね」と云ひます。
今日は、紀元節です。建國記念日などと云ふ歴史を冒瀆する名前ではありません。今の我が國に祭日がありません。祭日とは皇(すめらぎ)彌榮(いやさか)を君民一體となつて祀るものです。敗戰後、皇室と臣民の關係を斷ち切りたかつたGHQは、言葉巧みに、祭日を亡くしました。
このブログで何度も書きましたが、「皇」を「すめらぎ」と讀むか「すめらみこと」と讀むのではまるで意味が違ひます。この意味の違ひが「建國記念『日』」と「紀元『節』」の違ひです。
戦国策は、古代中国の周王朝に力がなく、各国の王が幅を利かせた春秋時代が終わり、戦国7雄が覇を競う戦国時代になったときのことが書かれています。悲惨な時代だったかというと必ずしもそうではなく、いろいろな文化が花を咲かせた時代でもあります。
今日のテーマは「女の復讐」です。中国の女性の復讐劇にはすごいものがあります。漢の高祖劉邦の后である呂后は、劉邦が寵愛していた女性を劉邦の死後、腕を切断し、足を切断し、舌をくりぬき、眼を潰した上で、トイレにぶち込みました。長い間、トイレで生きていたそうです。中国史上唯一の女性皇帝則天武后は、にっくき女性の手足を切り取り、樽に頭だけが出るようにして漬けてしまいました。其の女性は気がふれて、いつもその樽から頭だけを出した状態で歌っていたそうです。おー、こわ。
今日の女の復讐もなかなかのものです。(20091122)
旧制中學と云ふのは現在の髙校に當たるのですが、それが認められませんでした。
小文吾と八犬士のひとりと思われる旦開野(あさけの)がわかれわかれになったところまででした。
でもでも、ここでいきなり、話は「信」の玉を持つ犬飼現八に移ります。
仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵
礼
智
忠:
犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、
信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ
んご) 行徳の旅籠屋の息子
過去の記事を再掲しています(20100908)。
さて、少しまとめておきましょう。カウンセリングには三段階がありました。
①リレーションをつくる
②問題の核心をつかむ
③適切な処置をする
でした。そして、リレーションをつくるためには、「受容」と「支持」が不可欠でした。前回まで、「受容」を勉強しました。今日から、「支持」を学びましょう。
毛沢東時代、文化大革命と云ふ歐州の宗教戰爭に匹敵する愚かなことがありました。その前にも支那はやってゐます。大躍進政策といふものを。毛沢東が。
日本や歐米に追いつくことを目的に、一氣に工業化を推し進めやうとしました。共産主義者と云ふのは經濟が人爲的にコントロールできると勘違いしてゐます。經濟(特にマクロ)の掟には誰も逆らへないことは歴史が証明してゐます(それをうまく使うことが大切)。
まあ、毛沢東の場合、經濟の掟などといふレベルの髙いものではありませんが。
この記事は2009年に書いてゐまるね(20091117)。
楚の国の話の続きです。さて、秦の国の宰相になった張儀が楚にやってきました。張儀は、楚の懐王をペテンにかけた前歴を持っています。それなのに、秦王の意を受けて、秦・楚同盟をつくろうと、のこのこ楚に乗り込んできました。懐王は張儀を捕らえました。さて、どうなるか。
浅っちんこと浅川君です。
本當に今考へてもくやしい。なぜベスト8なんかで終はつてしまつたのか。私の負け方が悪かった。シングルNO2の中垣君と、ダブルス 山口・埜田の試合のリズムを崩してしまふ負け方でした。
これがインターハイ予選だったら私はおそらく腹を切っていたでせう。
強いから勝つのではない。勝つた奴が強い。それしかありません。昭和五十二年です。浅川君が6日連続書いてゐます。3囘に沸けて書きます。