どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再83(皇紀弐千六百七十八年二月五日 参)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 小文吾と八犬士のひとりと思われる旦開野(あさけの)がわかれわかれになったところまででした。

 でもでも、ここでいきなり、話は「信」の玉を持つ犬飼現八に移ります。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 犬飼現八は、戦闘でみんなとわかれわかれになった後、一人都に上りました。都で三年ほど過ごしましたが、どの犬士にもめぐり合えないので、関東に戻って、奥州の果てまで探しに行こうと、下野の国の足尾というところまできました。今で言うと、茨城県あたりです。

 秋の日もまだ高いから、今日中に五、六里ほどは進めるだろうが、ここで一休みしようと、村はずれにある茶店に立ち寄りました。茶店の中をふとみると、売っている草鞋の間に、鳥銃と弓矢がかけてあるではありませんか。不思議に思って、茶店の親父に尋ねました。茶店の親父は答えました。

「ご存知ねえだか。ここからあの山の向こうまで、五、六里。家もなく山賊が出るし、猛獣や妖怪変化にあたら命をとられた者も年三、四人ではくだらねえだ。この弓矢で身を守るか、案内人を雇うしかねえだよ」

 現八はその話を笑い飛ばしましたが、茶店の親父はよそ者だからなにも知らないんだと、ある話をしました。

 さあ、どんな話なのでしょうか。つづく。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7443

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年2月 5日 09:34に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「カウンセリングの技法 再5(皇紀弐千六百七十八年二月五日 弐)」です。

次のブログ記事は「命の手紙 77(皇紀弐千六百七十八年二月七日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。